自分は臆病な人間であるということを改めて認識した。
最近こんな本を買った。
- 気楽に生きたい
- 難しく考えて生きるのは大変だな
などと思いながら、生きづらさを抱えながら生きてきた人間にとってはこういうタイトルの本に弱い。
正直なところ、だいたいどのような本も同じような内容にぶち当たる。
言い回しの表現が違っているだけで、言いたいことはまぁいつも同じ感じだったりする。
それでも私がこういう本を買ってしまうのは「自分で自分を楽にするための生き方や考え方」を「自分で行う」ということの難しさを持っているからだと思う。
いつも持っている同じ本を読んでもマンネリ化してしまって影響力が少なくなるので、時々違うニュアンスの本を読んだ方が、脳にちょっとした刺激を与えてくれる。
「楽に生きれている人」は「楽に生きたい」などと思ってはおらず、それ自体が自然な行為としてもともと存在しているので、素晴らしいなと思う。
「楽に生きたい」と思っている人は、思っている段階で既に意識のとらわれの身となってしまっている。
なかなか脱出するのは難しいものなのだ。真面目な考え方からちょっとハズしたところに出るのは。
今回この本を読み進めていく中で、ある1つのキーワードに出会った。
それが「臆病」という単語。
なんだろうね。
自分で自分のことを「臆病」だと知っているはずなのに、そのことから目を背けていたような。
「小心者」だとか「気が小さい」だとか「気が弱い」だとか「引っ込み思案」だとか「引きこもり体質だ」とか、散々自分のことを悪く言うのは得意なんだけれど「臆病」という言葉を使ってこなかった。
「あー、そうだ。自分は臆病だ。その言葉の方がピッタリくる。」
そう思った。そういうトラウマ的な経験も多くしてきた。
「臆病だから○○だ。」といろんなことにつじつまを合わせた言い方が出来る。
この本のあとがきにこのような文章があった。
臆病だから手を抜け無いし、負けちゃいけないと思ってしまう
と。
腑に落ちてしまうんだよね。
適当にやればいいのに、ついついそこの気になったところも・・・ってなるやつ。
この本は結構面白かった。
「臆病な人の成功法則」っていう本が書けるようになるかもね。
また安易な発想をしてしまった。
もし自分が臆病だということを受け入れて納得した上で、それを生かした生き方で幸せになれたならば「臆病な人の成功法則」っていう本が書けるかもね。って思った。
ただの妄想話さ。