年末、友人との忘年会で覚えた違和感
年末になると、毎年友人数名と忘年会を開催しています。
しかし、30歳も半ばくらいになってくると、各々環境の変化などもあったりして話はそれぞれの身辺の話になったりもします。
今年の忘年会は、私は少し友人とのやりとりに違和感を覚えてしまいました。
違和感を覚えた発言
30歳を過ぎても結婚出来ないのって何かしら問題あるからだよね
これ友達にも言われるのか。
集まった友人のうち、既婚者2名、独身3名という独身率の高さ。
独身者は全員彼女ナシという状況。
そして既婚者からの「30歳を過ぎても結婚出来ないのって何かしら問題あるからだよね」という発言。
友達からは言われたくなかった。
だって「問題あり」って言われているようなものなのだから。
その時点で未婚者を見下してきているようなものなのだから。
そいういう「問題」も認めてくれて友達として付き合ってくれているのかとも思っていたのだけれど、「君たちは問題を持っているけれども、優しい私たちは友達付き合いしてあげているんだよ」と言われているような気がした。
精神的にも、肉体的にも、金銭的にも問題ばかりかもしれないさ!
それでも生きて行くしかないんだよ!
問題抱えながら苦しみながら生きて行くしかないんだよ!
他人に見下されるなら忘れることも出来るけれど、友達に言われてしまうのか。。。
主婦を働かせればいいと言い放った友人
飲み会のネタともなれば仕事の話になることもあります。
友人の中に親の社長業を引き継いで新たに仕事をしていこうとしている人がいます。
その友人、会社の状況を親から聞いていろいろと思っていることがあるのでしょう。
「仕事で出来なかったり間に合わなかったりする分は、もっと意識や姿勢を改善してもらって努力してもらえばいい。法律も変わっていくからもっと主婦を働かせればいい」と、こう言い放ったのです。
「努力」だとか「効率化」だとか、いろいろと聞かされたが途中から聞くのが嫌になってきてしまって、もう何を聞いていたのかあまり覚えていない。
「出来るところよりも出来ないところの力を伸ばしてもらって平均化させたい」となんとも日本人らしいことも言っていた。
「主婦はもっと働きたがっているはずだから、もっと働いてもらったらいい」とも言っていた。
「人を使う」という言葉が嫌いな私。
人にいいように使われることも嫌いな私。
友人の話を聞いていて私は引いた。苛立ちも覚えた。
なんという上から目線の発言なのか。
人をなんだと思っているのか。
私はこの友人のもとでは一緒に働きたくないと感じた。
そしてこの友人を気持ち悪く感じた。
もう「友人」と呼ぶことすらやめようかとも感じている。
あまりにも傲慢すぎる。
いや、私との価値観が違うだけなのかもしれないが、彼の意見を許容する範囲を超えそうである。
そしてこの「恐れていた発言」がまさか自分の友人から出たという事実。
パートの主婦が働きやすくなるようにということで、政府は103万円の壁の見直しなどを進めている。
現状この議論がどうなっているのか私は詳しく知らないのだが、少なからず「主婦にもっと働いてもらって、会社でもっと主婦を使えるようになる」という発言をする人間も出てくるだろうなと思っていた。
こういうの本当に気持ち悪く感じてしまう。
「使う=奴隷」または「言いなり、逆らえない」というような意味合いで捉えてしまう私にとっては、こういう考え方が嫌いなのだ。
働きたい人にとってはもちろんボーダーが上がるのはメリットとしてあると思う。
だけれどそうじゃない人だっていると思う。
用事がある中で余った時間だけを仕事に回したいとか。
いろんな感情を無視して「ただ働かせればいい」と言っているような言い方をしているのが、あまりにも上から目線だった。
日本人の仕事観ってこんなものなのだろうか?
「働く」ということの「ただ仕事が回ればいい」「効率化を図って利益率を上げる」とか、目先の利益だけしかみていないような、すごく希薄で冷たい意識を感じてならない。
私はこういうの、感情に響かない。
だからこういう話になると「仕事ってなんだろう。」とか「働くってどういうことなんだろう」と未だにその答えが出せずに彷徨っている。
私の中に「割り切れないなんらかの感情」が存在していて、働くことの理由付けが出来ていない。
それは多分、自分の持っている雰囲気に合う考え方ではないからだと思う。
「食べていくために」は大切だけれど、「感情を押し殺したり、自分を殺して」まで働くのはなんか違う。
私のこころのもっと深いところに一体何があるのか。
それを見つける作業はまだ続いている。
そしてまた一人、友人と呼べる人が消えていくのかもしれない。