もう少しあっけらかんとして生きれたら気持ちも楽になれるのに。
いつもそう思うのに、なかなか思うように変えられない。
それが性格というもの。
「もう少しあっけらかんとして生きられたら楽なのに」
小さな小さな問題でも真面目に考え、真面目に捉えて考えすぎて暗くなる。
小さな小さな問題でも過大解釈してイライラを募らせる。
大雑把に分けてこの2パターンになる。
割と問題はどうでもいいことが多い。
「気にしなければ問題ないじゃん?」
本当にそういうレベルのものだと思う。
そしてその問題の発端には必ず「他人」が存在してる。
- あの人の言動が気になって・・・
- あの言葉の真意は?本当は違うこと思っているんじゃない?
- あの言い方はないよな・・・
- あの人は出来るけれど自分には出来ない
などなど。本当に考えるだけ無駄とも思えるようなことすらある。
しかし、自分で勝手に深く考えて悩むのが得意分野な私なので、考えずにいられないらしい。
それに加えての自己肯定感の低さと劣等感の強さから勝手に比較して勝手に負けるという心の作業をしている。
そういった他人との小さな問題を考えたり重ねていったりしているうちに「他人に気を使う」ことに重点を置くようになり、イコール「自分を隠したり殺したりしている」生き方が定着してしまった。なかなか他人の前で自己表現(発言)が出来ず、控えめになったり合わせたりというようなことをしている。
自分を認められることもないが、問題も起きにくくはなっているはずだった。
もじ自分を否定されることがあっても、意見を曲げて合わせればその場は治まることも多かった。
しかし、偽物の私がそこにいて自分自身を見失う生き方になっていた。
他人との関わり合いが本当に苦手なものになっていた。
自分自身が嘘のままで生きている。
そういう状態なのだ。
独りでいる時間がどれだけ安らぎに満ちていて、どれだけ楽なことか。
自分のゾーンにいる時だけが自分を出せて、自分がくつろげる。
狭い世界だ。
世界が広がらない。何も人生が変わらない。
自分を出した上でちゃんと人と対峙できる状態。
たとえ意見が折り合わなくても折り合わないこと自体を問題にしない状態。
そんな自分になれたらいいのになと思う。
このブログを書くようになってある程度自分自身も見えてきているので「なれたらいいな」「変わりたいな」はある。
この記事もその1つ。
だけれどもまだ変われていない。
悩んでいるから変われていない。
悩まなくなった時が解決したとき。
昔はこういう自分もあったな、と、そう思えるようになれたら楽だろうな。
「いちいちそんなこと気にしても無駄だよ」って、もっと自分に言い聞かせながら生きていこう。