人生につまづきながら生き方や働き方を模索していくブログ

どうにも社会人として会社に馴染めないとか、生きるのがちょっと疲れちゃってたりとか、生き方とか働き方に疑問を持ってたりとか、なんかそんな事とかそうじゃない事とかをのんびり書いていくブログ。

私的見解による「自分のイラストが上達した3つの理由」

 f:id:search_life_work:20161214102235j:plain

前回の記事「劣等感や無価値感を感じる要因の1つに夢や目標が関係していることもある」で、私がかつてイラストレーターを目指していたことに触れました。

search-life-work.hatenablog.com

 

ヘタだヘタだと自分を見下す日々でしたが、結局またペンを手にしました。
そして再びペンを取って2年ほど経過した分けなのですが、明らかに「上達したな!」って自分自身で感じる経験と出会うことが出来ました。

このブログではイラストを載せることはしないと決めているので、皆様に比較して頂くことは出来ないのですが、かつての私は「上達した!」なんて感じることすらなかったので、本当にこの2年ほどの月日は、自分にとってとても大切なものになっています。

 

そこで、今回は【私的見解による「自分のイラストが上達した3つの理由」】と題して記事を描いてみることにしました。

 

 

 

理由その1:一度イラストを描くことを辞めた

自分のイラストを好きになれ無かった日々
私は長い間自分の描くイラストが嫌いでした。
イラストレーターを目指していたのにもかかわらず嫌いでした。
むしろ目指していたからこそ、他人と比較してしまって、自分の絵を見下していました。
「ヘッタクソな絵だな。。。」と描く楽しさよりも仕上がった絵の下手さを見て自分の力(才能)の無さを嘆き、卑下していました。

夢を追いかけているのだから「辛くても頑張らないといけない」と自分で言い聞かせて、それを原動力にしていました。
でも、
「なんでこんな絵しか描けないんだ」
「本当に自分は才能がないな。こんなんで続ける意味あんのかよ。」
「もう成長出来ない」
「楽しくない。」
「想像力乏しすぎ。」
「自分には周りのすごいイラスト描く人みたいになれる才能なんて無かったんだ。。。」
と、マイナス言葉の嵐を自分に浴びさせていました。
他人の絵と比較して劣等感を自分に植え付けながら生きていました。
自分の絵に自信なんて持てるはずもありません。


その結果、思い出として残っているのは「辛かった」「楽しく無かった」でした。
そんな思いで描いているのですから上手くなるとも思えませんし、気持ちも乗っていなかったことでしょう。
本当になんで続けていたのでしょうか。
ただの夢への執着心からかもしれません。
「諦めたらそこで試合終了」なんていう名言もありますが、逆に苦しさだけが残りました。
その期間10年程。
イラストレーターっぽくネットからお仕事を頂いていたこともありましたが、自分を疑う事から抜け出す事が出来ませんでした。

悩んで苦しんだ結果、糸が切れました。

もう夢から解放されていいんだよ。
もう、イラストレーターとかいいわ。

と、思ってしまいました。

 

イラストを描くのをやめた
一度私はイラストを描くのをやめました。
精神も病んでいたので仕事も辞めました。
完全な引きこもりになって、日々無気力状態で生きていました。

何もしたくない。
何も考えたくない。
考えたくないのに頭は色々考えちゃうし。

あー、人生って辛い。
生きてても楽しくない。

そんな日々でした。

 

再びイラストを描き始めました
でもなんでなのでしょうね。
再びペンを握りました。
長年続けてきた習慣だからでしょうか。
自分が「やりたいと思えること」がそれしか無かったからなのでしょうか。
「描いてみたい」と思えるものがまだあったからというのもあったのかもしれません。
自分の感情を吐き出せるものがそれだったのかもしれません。

描いてみました。
「やっぱヘッタクソだな」と思いました。
思いましたが、別に夢も目標も持っていない状態で描いた絵だったので、「まぁ別にいいんだけどさ。」って気軽な感じでした。
気軽だったので、自分が今まで描いてきたタッチを変えることにしました。
「変えることにした」というよりも「勝手に変わりました」。

 

 

理由その2:ツールや資料を変えた

意図的に変わったわけではなく、自然に描き方が変わったものの1つが人体の描き方でした。
若い頃に参考にしていたキャラの描き方のテクニック本。
全く自分には合わなかったのだと思います。「美少女キャラの描き方」とかそういう類の本でした。

 

ですので、まずは変なクセが抜けた状態で、自分が描く絵がどんなものなのかを理解しました。
そういう絵をいくつか描いた後、もっとここが描けるようになりたい。もっとここの部分を練習したい。
そう思うようになりました。
そういう気持ちになったとき、新しく参考資料となる本を購入して描くようになりました。
そしたら人物の骨格とかから学べて、過去に描いていたものとは全然違うラインが描けるようになりました。
あ、やばい、楽しい。
そう感じることが出来ました。
まさか「楽しい」と感じる日がくるなんて!

アーティストのための美術解剖学―デッサン・漫画・アニメーション・彫刻など、人体表現、生体観察をするすべての人に

アーティストのための美術解剖学―デッサン・漫画・アニメーション・彫刻など、人体表現、生体観察をするすべての人に

 

 


ツールも変えました。
ペンタブレットで描いていましたが、線が思ったように描けなかったりして全く馴染みませんでした。
全然納得がいかなくてもどかしい感情ばかりが胸に残っていました。
やる気もこれで随分なくなったものです。

 

思い切って液晶タブレットを描いました。高価な買い物でした。
でも買ってよかったです。
「いや、これ楽しすぎだろ!」っていう気分になりました。
高い買い物でしたけれど、もっと早く買っておけばもっと楽しむことに早く出会えたかもしれないです。
当時、買うお金は持っていたのに、高い買い物だからと出し渋ってずっと後回しにしていたのですが、液晶タブレットを買ってから、私は劇的に変化をしました。
自分で言うのもなんですが。

ペン先が見たままのところに描画出来るので、ストレスがありません。 

 

 

理由その3:何より自分の絵を愉しむことにした

楽しいと感じる経験は何よりも大切
私がイラストレーターを目指した動機が萌えキャラです。
そう、青春時代はオタク活動が盛んでしたから。
でも描いても上手くなれなかった。
試行錯誤したの?研究したの?練習したの?
その問いに私は自信を持つ事も出きません。

私は無意識下において早い段階で上達することを放棄していたのかもしれません。
「楽しくない・辛い」という苦い思い出しか残っていないということが証拠です。
楽しければ「自発的に」やってしまうものですもの。


描いていて楽しく無かった絵=自分の描く萌えキャラ。
好きになれないものを描いていても仕方がないので、萌えキャラから離れた絵を描いてみたんです。

そしたらまぁ、下手なんだけれども、自分らしかった。
あー、なんかこっちが自分の絵なんだなと受け入れることも出来た気がしたんです。

そこから私の気持ちに変化が現れて、「下手でもいいから描くことを楽しもう」となりました。

  • 想像力はないかもしれない。
  • ものすごい画力もないかもしれない。
  • 絵の才能なんてないかもしれない。

気にしてしまったら楽しくなくなる。
だから自分の心が楽しくなる絵が描ければいい。と。


その気持ちの変化が私の絵が成長した理由につながりました。

「自分が好きな絵を描けるようになった」ことで「自分の心が満たされる絵」が描けるようになりました。

絵の上手い人と比べちゃったらそりゃ下手かもしれないです。
というか下手でしょうよ。
でももうその「上手い」は他人の話であって自分の話ではないから。
自分が楽しく描けて、自分が過去の自分よりも成長できたと思えるならば、それこそが自己成長として自分を認めるべきところですし、自信を持っていい体験なのです。


「今日も楽しく描けた」その満足感に出会うことが出来ただけでも私の人生は1つ変わりました。

 

 

まとめ

絵を描くことが辛くなってしまって「辞めた」こと。
そして辞めているうちに変な毒が抜けたのかわからないけれど「再び始めた」こと。
再び始めてみたら「違う絵」が描けるようになって「資料やツールを変えた」こと。
結果的に気持ちまで変わったこと。

辞めたことが変化をもたらすきっかけになったのだなと思いました。
好きじゃないことを「好きだ」と自分に嘘をついていても仕方がなかったのです。
好きじゃなかった、好きじゃなくなったのなら「辞めてみる」ことも1つの手段でした。
「辞めて」みて、初めて感じ方が変わってそこが新しいスタートラインになって「新しい出会い」になりました。