人生につまづきながら生き方や働き方を模索していくブログ

どうにも社会人として会社に馴染めないとか、生きるのがちょっと疲れちゃってたりとか、生き方とか働き方に疑問を持ってたりとか、なんかそんな事とかそうじゃない事とかをのんびり書いていくブログ。

何もしたく無いという気持ちを大事にすること。

頑張ろうとしない日を大切にしたっていいのだと思う。

そんな日があってもいい。

 

私は人よりも疲れやすい。

体も。心も。

それなのに、頑張らなきゃ、もっとやらなきゃ。

追いつかなければ、追い越さなければ。

焦りや焦燥感にもとらわれている。

同じように戦えないのに同じように戦おうとしてしまっている自分がまだいる。

 

それは私の人生の勝ち方ではないと。

自分の生き方や勝ち方があるのだと。

そこへスライドしていったらいいのに。

毎日毎日答えを探し彷徨っている。

 

考えすぎて頭が重い。

実行力はそれほどないのに頭ばかりが先行して動く。

あれも、これも、考えすぎてしまう。

そしていつも頭だけは動いている感じが残っているのでなんかずっと疲れている。

 

頭が動いているのならそれに見合った結論がいくつか出てきてもいいものなのに、なぜか白紙に戻っているような気さえする。

そう、きっと自分自身が実行するレベルに落とし込まれていない妄想レベルでしかないからだ。

だからあれもできない、これもできない、もうだめだーー。って疲れている。

勝手に疲れている。

 

疲れているのにまた頑張ろうとする。

 

いや、休め。

 

休もう。

 

モヤモヤした頭でいつも考えていていいアイデアが浮かんだか?

同じ知識と同じ情報量で進展するか?

 

しないだろう。

 

 

今日はゆっくり休んだらいい。

 

午前中は用事があったので、午後からひたすらのんびりした。

音楽聴きながら寝転がっていたら知らないうちに昼寝をしたら夕方だった。

あー、のんびりしたな。

エアコンつけなくても窓から入ってくる風で昼寝が出来るとか、少し秋も感じられて良いじゃないか。

 

ゆっくりしたついでにやっぱり頭はいろいろ考えているのだけれど、1つ実感したことがある。

私は私が笑顔になれるような幸せの感じ方はよくわからないのだけれど、自分の頭が喜ぶような適度な刺激を受けるのは楽しいということ。

自分の頭脳レベルにあった経験や知識や知恵をえることが楽しいということ。

あまりに難しいことはストレスで、簡単すぎることもつまらなないという天邪鬼。

ちょっとだけ上を考えたくて、ちょっとだけ新しい知識や経験が欲しい。

そういうちょうどよさが心地よいらしい。そういう時に充実感を得られるらしい。
(興味のある分野に限る)

 

いや、今日初めて気づいたわけじゃなくて「まぁそうだよね」って改めて思っただけだけど。

 

 

 

それにしても、何もしないって決めると突然暇になってしまって何をしていいのかもわからなくて途方にくれる。
もう「何か」をしようとして次を探し始めてしまっている。本末転倒。

コーヒー飲んで、お菓子は食べたけれど。

 

 

 

暇だなぁ。

 

 

 

精神病患者のいる家で。

私の父は躁鬱病だ。
やたら元気でハイテンションな時期と、落ち込んでほとんど何も出来なくなり闇期とが繰り返されるあれだ。
私が家で笑わなくなったことについて書いた記事でも少々触れた。

search-life-work.hatenablog.com

 

ハイテンションな時期を「病気がが治った」と捉えられがちだけど、実際は「躁状態」の時期なので「鬱が治った」という意味では合っているけれども「病気が治った」は不正解だ。

現在父は鬱期の真っ只中だ。
ここは精神病の病棟だろうか?と思わせてくれる。
毎日のように「あーーー」とか「はぁーーーー」とか「参ったなーーー」とか呻いている。
背中も丸まって俯き加減で、目にも生気が無い。垂れている。
身の回りのことだけは自分で出来るので、それだけでもありがたいことなのだが。
それでもとにかく「暗く澱んだ辛さ」が漂っている。

 

母はやっぱり何年経ってもこの状況に慣れることはなく、ストレスを正面から受けてしまっている。
現在もいつもどおりイライラしている。
私は家事手伝いを少々しつつ、時折母を喫茶店に連れ出してはゆっくりできる時間を作っている。

まあ、何かと大変なのだ。
この大変さは墓場まで持っていかなければ解消されることはないだろうというくらいに。

私自身、長い間鬱状態を経験した。
ストレスに弱く、ひどく落ち込みやすい体質ではある。
やる気になっているときは誰よりも頑張ってしまうし、一旦落ち込むとひどい落ち込みようになる。
父の病状の少々軽い版とでもいおうか。
しかしハイテンションになることは無いので、躁鬱ではないと思う。

 

とにかく、家全体をマイナスオーラが包み込んでいるような、濃い霧に包まれているようなそんな感じなのである。
こういうのを「呪われた運命」とでも言うのだろうか。
「もがき苦しみながら、それにあらがって突き破ってみなさい?」という使命なのだろうか。

 

父を直視してしまうと、私もストレスを正面から受けてしまうことになるので、なるべく視界から外してナナメから見るようにしてきたし、母を少しだけ支えてきたつもりではあるけれども、実際のところは自分も結構ダメージを受けてきたのかもしれ無い。
30代も中盤になり、20代の時ほど目を背けることが出来なくなってきているのかもしれない。

 

弟は何を考えているのかわからなくて、こういうことには無頓着なのかもしれない。
逆にそれでいいと思う。
そのおかげで家庭全体が潰れてしまうのが防がれていると言える。
彼が普通に生きてくれたらそれでいい。
しかし「本音を言え無い」から黙っているだけだったら彼にとっても苦しい家なのかもしれない。ただの想像なので真意はわからないのだけれど。

 

 

この家庭の状況を突き破っていく力を私は求め続けている。

 

 

 

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仕事が沸いて出てこないかなぁ~?なんて思っていたら見積案件がきた。

ものっすごく漠然としたボケーっとした状態で
「なんかいい仕事降ってこないかなぁー?」とか「仕事が湧いて出てこないかなー?」って思っていたら、なんだか分からないけれど見積依頼が届いていた。

計算してみたら少々良い感じの金額になってしまった。
怖い。

少々良い感じの金額なのでお客さんにとっても悩みどころかもしれない。
もしかしたらお断りされるかもしれない。

あと、納期的にめちゃめちゃ短納期だったら私からお断りしようと思う。
自分が望まないことはやらない。
仕事の内容的にはとっても好みなんだけれどね。

 

「頼まれた仕事はたとえ短納期で無理難題だったとしてもやるんだよ!!!」
「断ったら仕事が来なくなるよ!!」
なんていう美談や恐怖がが世間では存在しているけれど、それこそがブラックの始まりだと思うんだ。
前もその早さでやってくれたんだから今回も・・・。って納期調整すらさせてもらえないなんて言うことが常態化する。
それが一社だけならいいかもだけど、何社からもそういう状態になったら??
想像出来るでしょ?

そんな社会の状態からは脱出するべきなのだ。
そして断っても仕事は来る。別のところから。
そういうものらしい。

 

だから無理な仕事は断っていい。
お手伝い出来る仕事は受ければいい。お互いが得になればいい。
そういうことでやってければいいのだと思う。

 

↑ここまで文字数が555だった。
GO!GO!GO!だと!?バカもほどほどにしてくれ。
浮かれてしまうから。

違うことしてこのことは一旦忘れよう。

 

時間とお金はわかりやすくしておきたい。作業日報的なお話。

ありがたいことに、今年に入ってから今のところはネットから毎月1本はイラスト関係でご依頼が頂けておりまして非常にありがたく思っております。

これが続いてくれたら嬉しいなとか、もうひと越えしていけたらもっと嬉しいなとか欲が出始めていますが、欲張らないように普通にしていたいと思います。

変に肩肘を貼ると力場が乱れを起こす感じもありますし。

「やんわりとした良い感じ」をイメージしながらやっていきたいと思います。

 

さて、自分で何か仕事をしていると、時間とお金の関係って気になりますよね?

  • 掛かった時間はどのくらいなのか?
  • 時給換算するとどのくらいなのか?
  • 割に合ったのか?合わなかったのか?
  • 何か見直す点は?

などなど。
(お金以外の充実感や満足感、お役に立てた感はプライスレス。)

 

私は単純に掛かった時間と時給換算された金額を知っておきたいな、程度の人間ですけどね。
そして時が経てば忘れるのだけど。

 

 

今まではWindows標準のメモ帳を使って本当にメモ程度に案件ごとにそれを残していました。
別にそのくらいで全然構わないので、これからもしばらくはその程度のことしかしないとは思いますが、この度メモ帳からエクセルに変更しました。

 

メモ帳からエクセルに変更した理由。

  • フォーマットを決めていなかったので案件ごとに書式がちょいちょい違うので見にくい。
  • メモ帳にはセルがある訳じゃないので、項目の区切りのズレが生じてやっぱり見にくい。
  • 時間の計算を毎回自分で電卓で弾かないといけないので面倒くさい。
  • 時給計算も毎回自分で電卓で弾かないといけないので面倒くさい。

ざっとこんな感じです。

去年までは月に1件あるかないかくらいだったので、別に手間でもなんでもなかったのですが、今年は毎月案件が入ってきて頂けるので、だったらもうちょっと楽にしようかな?という考えに至りました。

 

項目的には「案件名」を最上位にし、その下に「受注金額」と「利益金額」を掲載。
一応、他社のプラットフォームを利用している関係上、受注金額から30%程度が引かれた金額が利益金額になってきます。

そこから下は作業日報的な感じで項目を並べました。
年月日、作業内容、開始時間、終了時間、作業時間(終了時間ー開始時間で自動計算)。

案件完了時にはトータルで掛かった作業時間が自動計算されてくる塩梅になっているので、利益金額を作業時間で割ってあげれば時給換算まで勝手に算出されるというものです。

これで手間が省けた。ラッキー!って感じです。
フォーマットが完成したので次回から使用していきます。

 

基本的にはエクセルの計算式とか関数とか全然に近いくらい知らないので苦手意識が根強い私ですが、ちょっとしたものを作れるのは楽しいものです。

 

 

残暑厳しい8月最後の日曜日。
次の日曜日はもう9月。
もう9月かぁ〜!!!

 

 

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何をどう頑張ったとしても、絶対にそれを飛び越えていく者がいるんだよ

上には上がある。

ただそれだけのことなんだ。

 

上を目指して頑張ることは悪いことではないのだけれど、目指していたところまで成れないと分かったときのその落胆と悔しさ。
認めたくない自分。

そういうところに堕ちると、辛さだけが付いて回る。

その辛さの砦から出るためには、さながら脱出ゲームのようにあっちへ行き引き返し、こっちへ行き穴に落ち、登っては転げ落ち、穴から出ようとすると蓋がされる。
そんな中をくぐり抜けていかなければならなくなる。

 

何かを胸に抱えながら、苦しい戦いを強いられる人生になる可能性が十分にある。

 

先に図解で説明しておくとこうだ。

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量をこなし、質を上げて、オリジナリティがちょっとずつ芽生えながら、それに加えて勉強もしながらコツコツ、コツコツ頑張ったとしよう。
ゆっくりゆっくり成長出来ると思う。

だけど気が付いたら後から出てきた者にスパーンと追い抜かれてしまっているなんてことはよくある話。

もしかしたらコツコツやってるサイクルのスピードが全然違うっていうこともあるだろうし、持って生まれた何かも違うっていうこともあるだろう。

 

そんな人たちを何人も見てしまうと「あぁ、自分のこの道は、どうにもならないんだなぁ」と感じてしまう日と遭遇するだろう。

 

 

もしそうなってしまっても、時間だけは勝手に過ぎていってくれるから、今日は今日で適当に生きて終わっていくだけだから、少し気を抜いて生きてみてもいいんじゃないかい?
抱えた闇が軽くなるかもしれない。

 

彷徨ってる間に何かが見つかるかもしれないし、何も見つからないかもしれないけれど、何かに向かっていた事実だけはそこに残っている。

やらなかった訳じゃない。

やってみたけどダメだった。

ただそれだけのことじゃないか。

 

な?

 

自分がそこに行けなくても、そこに辿り着いて活躍しているものすげーやつらが、自分の代わりに頑張ってくれていると思えば少しは救われるだろう?

 

救われないって?
悔しすぎるって??

 

叶わない夢の1つや2つ絶対にあるものなのにな。

 

夢に希望を抱かせすぎる世間の風潮はどうにかならないものかね?
「絶対に夢は叶う」なんて、ありゃ嘘だ。

綺麗ごと、書きすぎている。
初恋は実ったかい?好きだった人と全員付き合えたかい?会いたい人に会えたかい?
夢は叶ったかい?

 

夢に「絶対」なんていう言葉を付けるから、純粋な人は信じてしまうんだ。
夢が叶った人が後付けで「絶対」と言っているだけなのだから。
叶った人にとってはそれが100%なんだから「絶対」と言えるに決まっている。
そこだけが取り上げられて、良い話だなぁーって広まって、信じる。

夢信者が生まれてしまう。

 

夢を持つことも希望を持つことも悪いことじゃないし、生きがいを持つためには良いことなのだけれど、夢に挫折したときの処方箋までは無いからな、こじらせる人は呪いのレベルまで落ちてしまうのだ。

 

 

呪いを解くカギは「あきらめて、受け入れなさい」というくらいしか、今のところはないかな。