人生につまづきながら生き方や働き方を模索していくブログ

どうにも社会人として会社に馴染めないとか、生きるのがちょっと疲れちゃってたりとか、生き方とか働き方に疑問を持ってたりとか、なんかそんな事とかそうじゃない事とかをのんびり書いていくブログ。

埃を被っていてはダメだろう?

先日のエントリーで非常に心が折られた出来事を書いた。

search-life-work.hatenablog.com

 

かつて私の趣味だったカメラ。
今ではカメラも眠っていてヤル気すらない。
そんなカメラを再び、気軽に手にしてみようかな?と思った矢先に正論を突かれて「やっぱやーめた」となったお話だった。

文章の末尾をこう締めくくった。
「またしばらく私のカメラは埃まみれになっていることだろう。」と。

 

埃まみれになっている。

 

そんな状態で良いのか?
せっかく楽しんできた道具をそんなずさんな管理の中に置いておいて良いのか?

良いわけない。

カメラカバンの上に置かれているカメラは本当に埃が被っている。
それはダメだろう。
しっかりと綺麗にして中に仕舞っておかなければ。

 

本日、日曜日快晴。
私はカメラカバンごとごっそりと持ち出し、カバンの中のものを全部出して各種道具の手入れをすることにした。

 

まず問題があったのはカメラカバン。
実は知っていたのだけれどずっと放置していたことがある。
カバンの表面の各所に使用されている合成皮革が経年劣化でボロボロ落ちるようになっている。
黒くて小さなその黒いゴミはカバンの内外に散らかっている。
これが非常によろしくない。
一眼レフを始めた当初、カメラと同時に購入したカバンなのでさすがにくたびれてしまった。長く使えたなと思う。
しかしここまで来ると、カメラにもレンズにもゴミが付着してしまう原因なるのでこれ以上このカバンを使うことはできない。お疲れ様だ。よく頑張ってくれた。

心機一転・・・になるか分からないけれどカバンを変えることにした。
私は運良くもう一つカメラカバンを持っている。
アウトドア用のリュックサック仕様のカメラカバンだ。
買ってはみたものの、自然の中に出かけることはなくそのカバンは押入れの中で眠っていた。
使うしかないだろう。今がそのとき。

 

カバンをスタンバイできたので、カメラ、レンズ各種、小物などを拭いたりゴミ取りをしたりして手入れをしていった。
そしてカバンに全部綺麗に詰め込んだ。
バッチリ仕舞うことができた。

実に気持ちが良い。
実に清々しい。

 

こうしておけば、もし使いたくなったとき気持ち良く使い始めることが出来る。
見た目的にもピシッと片付いているので安定感がある。

 

これが良いのだ。
これで良いのだ。

 

 

良い感じになったので、良い感じの気分で出かけたら、行った先のお店で懐かしい人に出会った。
久しぶりだったので雑談に花が咲いたというわけさ。

なんか良いことあったじゃん?

 

良い日曜日だった。

 

 

LogicoolのG300sというマウスを買いました

そろそろマウスを変えなければならない。
そう感じていました。

何故ならば。

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これはマウスのケーブルです。
ご覧のように被覆が剥がれて中の細線が見えてしまっています。
マウス本体もかなり年季が入ってしまっていてお見せできるような代物ではございません。

無線のマウスならケーブル劣化を気にしなくて良いのですが、無線マウスの突然のバッテリー切れは非常に嫌いなので有線マウスをこよなく愛しております。

 

さて、私のささやかな楽しみはこういったパソコン関係のお買い物。
「次はどんなものを買おうかな?」と色々見るのが結構楽しいのです。
さらに光り物が好きな私。
光り物と言っても魚のことではありません。
パーツが光っちゃう物のことです。

かつて私が自作PCで楽しんでいた頃、光るファンなどを組み込んで楽しんでいたのも良い思い出です。

もういい大人なんだし、地味目のマウスを長年使っていたのですが、何を思ったのか今回は光り物に手を出しました。
いや、かっこよく見えたのですよ。
ロボットとかメカ好き男子にはよくありそうでしょ?

それでもギラギラ光るものは遠慮しました。
ささやかにオシャレに光る感じのものにしました。

 

それがこちら。

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なんかマウスの後ろから火花が散ってますね。
レーシングマシンのイメージですね。分かります。
きっと世の女性たちは「アホらしい」と、ひややかな称賛を送ってくることでしょう。

 

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取り出してみるとこんな感じです。
マットブラックな部分と光沢ブラックな部分でいい感じの模様になっています。
デザイン的にも手にフィットするようになっていて好感が持てます。
しかし、残念なことに私の手のひらのサイズが平均男性のそれよりも小さめだと思うので、若干手に余る感じもあります。惜しい。

 

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ゲーミングマウスというだけあってボタンも多めに付いています。
私、ゲームしないんですがね。
でも人差し指外側に付いている「戻る」「進む」ボタンは最低でも欲しいと思っている人なので、それがあるのは必須です。
中指側にある外側2つのボタンにはコピペ系のショートカットにしておきました。
マウスのドライバをLogicoolのサイトからダウンロードすれば、ボタンに何の操作を付加させるのか設定出来るようになるので便利です。

 

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裏面はこんな感じです。
ブルーのプラスチックですね。
シリアルナンバーのあたりはシャーペンで隠してあります。

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そしてこれが光るところ!!
写真だと綺麗じゃない・・・。
お好みで7色の色のどれかを指定できます。
気分によって色を変えて楽しんだりとかも出来ます。

本当はモード変更の目印なのだろうけれど、詳しくは割愛。

 

 

新しいマウスを手に入れた私は、少々浮かれた気分でパソコンに向かっております。
今まで使っていたマウスもサイズ感が自分の手にフィットする絶妙な感じだったので、光り物に飽きたらまた買い直すかもしれません。

 

今回購入したもの

 

 これまで使っていたもの(これのブラック)

サンワサプライ 有線ハイパーLEDマウス レッド MA-125HR
 

 

いきなり正論を突かれてやる気を削がれた話

お盆休み中友人と食事をした。

友人は最近楽しい出来事があったらしく、私は聞き役に徹していた。
仕事も趣味も充実しているようだった。

彼は話し始めると一方的になるので、私は相槌を入れながら聞いていた。
私自身が人に話したいと思うようなネタを持っていないので聞いていること自体は苦ではない。

 

友人の趣味の話がひと段落し、少々間ができたので何か話が広がるか?
と、一石投じる意味を込めて発言してみた。

 

「最近趣味という趣味がほとんどなくてさ、また久々にカメラでも初めて見ようかと思ったりしている。」と。

 

「何か撮りたいものでもあるの?カメラやっている人ってさ、撮りたいものありきで活動しているじゃんね。好きなもの、例えば電車とか、旅とか、人とか、そういう対象が先にあってカメラで撮るわけじゃんね。カメラが好き・・・というかカメラで何かを撮ることが好きなだけで、その好きはあるの?」

と、半ば語気強めで説教じみた感じで言われた。

軽い気持ちで会話が続けば良いかと思ってした発言に対して、ど直球の正論をストライクゾーンに豪速球で突っ込まれた。

なぜ私が叱られなければならないのかと若干イライラした。

確かに正論なのだ。
カメラは道具でしかない。
撮りたいもの、残したいもの、それにたいする情熱があってカメラが生きる。
撮ることが楽しくなる。
そういうものなのだ。

 

かつて私がカメラにハマっている頃は楽しかった。
どうやって撮ろう?どの角度から撮ろう?どういう色合いに仕上げよう?
とかいろいろ考えながら綺麗に残すことが楽しかった。
出かけ先で景色を残すことも楽しかった。
なんらかの情熱がそこにはあった。

今の私はどうかというと、正直そこまでの情熱はない。
記録としての写真が取れれば十分なので基本的にはスマホで十分だし、どこか観光地へ行く時にカメアをもって出かけるという程度で十分なのだ。

そう、そこまで今カメラに対しての情熱はない。
撮りたいものがない。感情を揺さぶられるものがない。
これ楽しいじゃん!ってならない。

なんで「またやってみようかな?」という発言をしたかというと、ハマっていた時のような感情を体験してみたいからだった。
また始めたら何か感じるものはあるのかな?と。
ちょっと新しい機材を買ってみたら気分も変わって楽しめないかな?と。
その程度の軽い気持ちだった。

 

趣味としてのカメラなのだから、そのくらいの軽い気持ちで始めるパターンもあって良いのだと思う。
本人が楽しめるのならばスタートがどういう状態かなんて関係のないことだろう。

しかし「情熱」的なものを引き合いに出されると、私には存在していないのでやる気なんていうものは一気になくなる。
正直、カメラを手にしようかなという今の気分は消えた。
どうでもいいわ、もう。

 

 

それにしても、話のネタで軽い気持ちで「ちょっとやってみようなか?」と持ち出した程度なのに、それすらも真面目に、「こうあるべきだ」「こうするべきだ」のような返事が帰ってくる友人しか、私にはいないのだろうか?

語気も強目で若干説教じみた感じで言われたのが本当に嫌だった。
私はそんなに目に付くか?鼻に付くか?気に入らないか?

イラストのことをテーマにして会話した時も然り。
写真のことをテーマにして会話した時も然り。
これでは私は私のことを何も話せなくなってしまう。

私の不遇さを話すか?楽しくないだろう?話す必要もないだろう。
それはブログだけで十分だ。

 

徐々に友達が友達では無くなっていくように感じる。
これが「友達が減っていき、最後には自分しか残らない」現象なのだろうか。
向こうはまだ友達だと思っているのだろうか?
もう誰とも会いたく無くなっていく。

そもそも私の周りの友達というのは厳しい意見を言う感じの人々しかいなかったのだっけ?
いや、そういう人たちが残ったのか?
私自身が厳しい人間だからだろうか?

 

もうちょっと息を抜いた感じで気楽に生きていくことすら許されないのだろうか?
「やんわりと」をテーマに生きようとすると「縛り」を求められているような。
そんな感覚に陥る。

 

いや、まぁ、周りの人の言うことなんか気にせずやってしまえばいいのかもしれないのだけれど。
今回はだめだ。もうやる気でない。
またしばらく私のカメラは埃まみれになっていることだろう。 

 

 

35歳で独身なら1000万円くらいは普通は貯金しているはずやしな、と母にボソッとつぶやかれるのが辛い。

私も他人と自分をよく比較してしまうのだけれど、それは母親譲りなのかもしれない。

給料やボーナスの話題がテレビなどで出てくるようになると、
「誰々さんちの子は○○(給料の良い会社名)へ行っているみたいだよ」
とか
「おまえも○○(会社)へ行ったみたらどうだ?」
と、進めてくることがある。

冗談で行っているのか本気で言っているのかは分からないが、お金のことはそうとう気にしている。羨ましいのだろう。

父があまりまともに働けなかった人なので、余計にお金に固執をしている。
そして母自身が自分が不幸だと思っている。それは母の生い立ちにも深く影響がある。

きっと私にも「まともに働いて家計を助けてほしい」と思っているはずだ。
いや、思っている。

が、そこまで強く面と向かっては言ってこない。
私の抱えている事情も見てきているからだろう。

 

私の闇も根深いが、母の闇もそうとう根深い。 

 

母のそういう小さなつぶやきが私を時々苦しめる。

深い意味は無いのかもしれない。

真意まではわからないけれど。

私にとっては「お前は稼げてないからな」と言われているみたいでつらい。

そしてイライラしてくる。どうせ私は不出来なのだから仕方が無い。

自分に対してそういう言葉が出てくる。

私が考え過ぎなだけか。

あぁ、またか。

 

この先の思考は、止めておこう。

まずは、明日からの目先の仕事を頑張れば良い。
そうしよう。

 

激しく部下を叱責する上司のもとで働くことは不幸だと思う

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これは前職で見てきたお話。

 

人間だもの。
仕事でミスをした部下を責めたり叱ったり怒鳴ったりしたくなってしまうことはあると思う。
でもね。
感情をストレートに表現してただただ従業員に対して怒ったり怒鳴ったり嫌味を言ったり。
それじゃあ従業員は反省するを通り越して「もう会社に行きたくない」となってしまうと思うんだよ。


「ただ仕事さえしてくれていれば、他は別にかまわない」その人のいないところでそう言っていたのを聞いた。
きっとその上司は裏切ることも裏切られることも経験してきたのだろう。
経験上ひどい仕打ちをされたことがたくさんあったのだろう。
だからなのだろうか。 人を信用していないような発言をたくさんする。


「また間違えやがったのか」
「人のミスは俺はカバーしたくない」
「何回同じような間違いをすれば気がすむのか」
という発言が出る。
怒鳴る。嫌味を言う。
わりと日常的に険悪な空気が会社の中を流れていた。
会社の空気が乱れていた。

そういうことを率先して社長がやっていた。
そう、その上司というのは会社のトップである社長。
社長だから威張っていていい。とでも言うのだろうか?

怒鳴ったり嫌味を言うことでミスが減るのなら簡単だ。
本人が真面目にやってなかったわけではない。
真面目にやっているけれどもミスも出てしまうという感じだった。
もっと理論的な対策を取らなければならなかったはずだ。

怒鳴られて、嫌味を言われて。
それで泣いてしまった従業員もいる。
本人もミスをしてしまったことは悔しいのだ。
それをあえて追い討ちを掛けるようにまくし立てる。
反省しないタイプの人になら言うことは言わなければならない。
しかし自分で反省する&落ち込むタイプの人をさらに責め立てたらどうなるかくらい想像付くだろう。
いや、その上司は想像できないからそういうことを言ったのか。
想像よりも先に感情が優先されたから言ったのか。


ミスをしてしまったことに対しての原因と対策を立てることは大事なのでもちろんそれはやるのだけれど、伝え方や叱り方というのが感情的になりすぎていた。

また、友人の働く土木会社では殴るという行為による叱責もあったとうケースを聞いた。 完全にアウトだ。 そんな会社で働く従業員は不幸だし、とっとと辞めてしまった方がいい。

日本にある会社で、体育会系や職人気質の会社というものはどうしても激しい口調での叱責や体罰での叱責というものが風習として残っているような気がしてならない。
そしてこれはしばらくの間なくならないだろうと思う。

 

逆に私は叱るこができない。 どうしてもミスを優しく伝えるだけになってしまうので、緊張感が足りなくて舐められてしまっている感じもある。
しかし自分も人間だから間違えることがある。
そういうときに周りに助けを求めなければならないときだってある。
普段から怒鳴ったりしている人が間違えたとき 「自分だって間違えてるのに、何を偉そうに言っているんだ!」 「誰が助けてやるもんか」 「(助けてはくれるけれど)内心見下されてしまう。 」といったようなことになる。
逆に普段からお互いのミスがカバーしあえるような人間関係が出来ていれば、お互い気持ちよく仕事が出来る。 ような気がする。
責め合ったりすることも少なくなるだろうと思う。
そういうことを考えると、優しく伝えた方がいいなと思うところもあって、私は人を叱ることが苦手だ。単純に嫌われることを恐れているだけという面もあるけれど。

「叱るときには叱れる上司」というのも存在としては大切だけれど。 なんにせよ「叱り方」というのは難しいものだと感じた。

そして暴力的で攻撃的な上司を持つ部下は不幸だなと思った。

 

(記事作成:2017.02 記事調整:2018/08)

 

 

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