人生につまづきながら生き方や働き方を模索していくブログ

どうにも社会人として会社に馴染めないとか、生きるのがちょっと疲れちゃってたりとか、生き方とか働き方に疑問を持ってたりとか、なんかそんな事とかそうじゃない事とかをのんびり書いていくブログ。

私は家で笑うことをやめた

私は家で笑うことをやめた

 

やめた、というよりも出来なくなった。

 

家族と笑い合うことが出来ない
もう少し言うと、両親の前で笑顔を見せることが出来ない。

自分の部屋で何か面白いものに触れた時(テレビや漫画で)はニヤッとは笑うんだけれども、声を出して笑うことはない。
はたから見ていると気持ち悪いかもしれない。


なぜ私は家で笑うことが出来なくなったのか。
きっとそれは「真面目」であろうとしなければならなかったからだと思う。

 

小学校6年生の時に父が1日だけ失踪した。
そうとう仕事に参っていたらしい。
今から考えるとたった一日ばかりの失踪なんて大したこと無いなと思ってしまうところもあるのだけれど、母親と祖母の動揺ぶりは大変なものだった。
そしてその時、父が躁鬱病を持っているということも知らされた。
多分それで母と祖母が動揺していたのだろう。
もしかして、、、万が一、、、、ということを頭をよぎったのかもしれない。
父の仕事の状態も、病気と相談しながらだったらしく、それまで騙し騙し働いてきたということだったらしい。
子供にはばれないように上手くやってきたらしい。
それまで知らなかったのだから上手くやってきたのだ。


それ以降、父が「家にいてテレビを見てご飯食べて寝ているだけ」という日々が増えた。
元気な時だけ働きに出かけて病気になったら家にいる。
そういう生活だった。
今の自分で考えれば「そういう生活もありだし、逆にそれが出来るのが羨ましい」とさえ思う。
しかし、この今の日本の社会でそういう生活をしていることは異質だろうし排他的な存在だと思う。
受け入れてもらえるケースが少ないと思う。
お金だって工面に苦労していた。

かくいう自分も、思春期真っ只中の多感な時期にそんな父親の姿を見てしまったので、その姿は忌み嫌うものになってしまった。
「自分はああはなりたくない!ならない!」と呪文のように唱えていた。

 

結果として自分も社会生活には馴染めない人間であるということを知り、父と同じなのかと思うようになり、嫌っていた父と同じ自分なので自分も嫌いという考え方が染み付いてしまった。

 

そして母親の父に対するストレスの愚痴のはけ口が自分であった。
悪口を色々と聞かされた、
怒りもぶつけられた。
離婚すればいいのにって本当に思った。
ただ母の大変さも知っていた。

 

そういうこともあって、なにを考えているのか分からない父に対する悪感情だけが増加した。
しかし母に対する悪感情も生まれた。

 

なんだかよく分からないうちにそういう環境に慣れてしまったこともあるし、自分が弱いところもあるし、いろんな言い訳を自分にしつつ実家を出ることも出来なくなりやり過ごした。
マイナスの言葉やマイナスの感情が漂う家の中で。

 

結果、よく分からない中途半端な大人が一人出来上がってしまい、今に至るのである。
幸せな感じは無かったな。と思う。
笑いがあれば幸せ感もあったのだろうか?
でも笑え無かった。
幸せな時期もあったのだろうけれど記憶の片隅に封印されてしまっているのかもしれない。

 

もし自分が家族を作ったとしても幸せを知らないので幸せな家庭が自分に作れるとも考えられない。
きっと自分もパートナーに迷惑をかけるのではないかと思ってしまう。
だから「結婚は出来ない」と思っている。
そもそも自分のことを「好いてくれる人」はいないとタカをくくっている。


それと、自分の中で変えなければいけない考え方もある。
社会人として会社や社会に馴染めない人間は「悪」だという考え方。
別に「悪」ではない。
それぞれがそれぞれに合った生活が出来ればそれでいいじゃないかと。
いろんな生き方があっていい。いろんな生活があっていい。
それは受け入れなければいけないし、受け入れることによって視野が広がると思っている。
何せ自分も仕事が辛くてダメになってしまったことを経験してしまったのだから。
会社で働くことが全てじゃない

 

でもね。
変えることが出来ない考え方もある。
「お金のない」生活の自由は、自由を装っているだけで実は苦しい、ということ。
やっぱりお金は大事。
生活が成り立っていないのに自由はありえない。
精神的にも余計に辛くなってしまう。

ような気がする。

 


自分の幸せがどこにあるのか。
それをもっと深いところまで考えないといけない。

(いつも考えても中途半端になってしまうので)

 

ただ、こんな自分でも実家で生活をさせてもらっているだけでもありがたい事なのは変わらない。

悪いことだけ目を向けてしまうと苦しいけれども、こんな年齢になっても守られている部分もある。

共依存の関係になっているのでは?と言われるとそれまでかもしれない。
自立できない、子どものまま大人になった子どもという感じなのだ。

 

 

 

なぜ子供のままの大人が増えたのか (だいわ文庫)

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