精神病患者のいる家で。
私の父は躁鬱病だ。
やたら元気でハイテンションな時期と、落ち込んでほとんど何も出来なくなり闇期とが繰り返されるあれだ。
私が家で笑わなくなったことについて書いた記事でも少々触れた。
search-life-work.hatenablog.com
ハイテンションな時期を「病気がが治った」と捉えられがちだけど、実際は「躁状態」の時期なので「鬱が治った」という意味では合っているけれども「病気が治った」は不正解だ。
現在父は鬱期の真っ只中だ。
ここは精神病の病棟だろうか?と思わせてくれる。
毎日のように「あーーー」とか「はぁーーーー」とか「参ったなーーー」とか呻いている。
背中も丸まって俯き加減で、目にも生気が無い。垂れている。
身の回りのことだけは自分で出来るので、それだけでもありがたいことなのだが。
それでもとにかく「暗く澱んだ辛さ」が漂っている。
母はやっぱり何年経ってもこの状況に慣れることはなく、ストレスを正面から受けてしまっている。
現在もいつもどおりイライラしている。
私は家事手伝いを少々しつつ、時折母を喫茶店に連れ出してはゆっくりできる時間を作っている。
まあ、何かと大変なのだ。
この大変さは墓場まで持っていかなければ解消されることはないだろうというくらいに。
私自身、長い間鬱状態を経験した。
ストレスに弱く、ひどく落ち込みやすい体質ではある。
やる気になっているときは誰よりも頑張ってしまうし、一旦落ち込むとひどい落ち込みようになる。
父の病状の少々軽い版とでもいおうか。
しかしハイテンションになることは無いので、躁鬱ではないと思う。
とにかく、家全体をマイナスオーラが包み込んでいるような、濃い霧に包まれているようなそんな感じなのである。
こういうのを「呪われた運命」とでも言うのだろうか。
「もがき苦しみながら、それにあらがって突き破ってみなさい?」という使命なのだろうか。
父を直視してしまうと、私もストレスを正面から受けてしまうことになるので、なるべく視界から外してナナメから見るようにしてきたし、母を少しだけ支えてきたつもりではあるけれども、実際のところは自分も結構ダメージを受けてきたのかもしれ無い。
30代も中盤になり、20代の時ほど目を背けることが出来なくなってきているのかもしれない。
弟は何を考えているのかわからなくて、こういうことには無頓着なのかもしれない。
逆にそれでいいと思う。
そのおかげで家庭全体が潰れてしまうのが防がれていると言える。
彼が普通に生きてくれたらそれでいい。
しかし「本音を言え無い」から黙っているだけだったら彼にとっても苦しい家なのかもしれない。ただの想像なので真意はわからないのだけれど。
この家庭の状況を突き破っていく力を私は求め続けている。