人生につまづきながら生き方や働き方を模索していくブログ

どうにも社会人として会社に馴染めないとか、生きるのがちょっと疲れちゃってたりとか、生き方とか働き方に疑問を持ってたりとか、なんかそんな事とかそうじゃない事とかをのんびり書いていくブログ。

時間とお金はわかりやすくしておきたい。作業日報的なお話。

ありがたいことに、今年に入ってから今のところはネットから毎月1本はイラスト関係でご依頼が頂けておりまして非常にありがたく思っております。

これが続いてくれたら嬉しいなとか、もうひと越えしていけたらもっと嬉しいなとか欲が出始めていますが、欲張らないように普通にしていたいと思います。

変に肩肘を貼ると力場が乱れを起こす感じもありますし。

「やんわりとした良い感じ」をイメージしながらやっていきたいと思います。

 

さて、自分で何か仕事をしていると、時間とお金の関係って気になりますよね?

  • 掛かった時間はどのくらいなのか?
  • 時給換算するとどのくらいなのか?
  • 割に合ったのか?合わなかったのか?
  • 何か見直す点は?

などなど。
(お金以外の充実感や満足感、お役に立てた感はプライスレス。)

 

私は単純に掛かった時間と時給換算された金額を知っておきたいな、程度の人間ですけどね。
そして時が経てば忘れるのだけど。

 

 

今まではWindows標準のメモ帳を使って本当にメモ程度に案件ごとにそれを残していました。
別にそのくらいで全然構わないので、これからもしばらくはその程度のことしかしないとは思いますが、この度メモ帳からエクセルに変更しました。

 

メモ帳からエクセルに変更した理由。

  • フォーマットを決めていなかったので案件ごとに書式がちょいちょい違うので見にくい。
  • メモ帳にはセルがある訳じゃないので、項目の区切りのズレが生じてやっぱり見にくい。
  • 時間の計算を毎回自分で電卓で弾かないといけないので面倒くさい。
  • 時給計算も毎回自分で電卓で弾かないといけないので面倒くさい。

ざっとこんな感じです。

去年までは月に1件あるかないかくらいだったので、別に手間でもなんでもなかったのですが、今年は毎月案件が入ってきて頂けるので、だったらもうちょっと楽にしようかな?という考えに至りました。

 

項目的には「案件名」を最上位にし、その下に「受注金額」と「利益金額」を掲載。
一応、他社のプラットフォームを利用している関係上、受注金額から30%程度が引かれた金額が利益金額になってきます。

そこから下は作業日報的な感じで項目を並べました。
年月日、作業内容、開始時間、終了時間、作業時間(終了時間ー開始時間で自動計算)。

案件完了時にはトータルで掛かった作業時間が自動計算されてくる塩梅になっているので、利益金額を作業時間で割ってあげれば時給換算まで勝手に算出されるというものです。

これで手間が省けた。ラッキー!って感じです。
フォーマットが完成したので次回から使用していきます。

 

基本的にはエクセルの計算式とか関数とか全然に近いくらい知らないので苦手意識が根強い私ですが、ちょっとしたものを作れるのは楽しいものです。

 

 

残暑厳しい8月最後の日曜日。
次の日曜日はもう9月。
もう9月かぁ〜!!!

 

 

Excel 最強の教科書[完全版]――すぐに使えて、一生役立つ「成果を生み出す」超エクセル仕事術

Excel 最強の教科書[完全版]――すぐに使えて、一生役立つ「成果を生み出す」超エクセル仕事術

  • 作者: 藤井直弥,大山啓介
  • 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
  • 発売日: 2017/01/28
  • メディア: 単行本
 

 

何をどう頑張ったとしても、絶対にそれを飛び越えていく者がいるんだよ

上には上がある。

ただそれだけのことなんだ。

 

上を目指して頑張ることは悪いことではないのだけれど、目指していたところまで成れないと分かったときのその落胆と悔しさ。
認めたくない自分。

そういうところに堕ちると、辛さだけが付いて回る。

その辛さの砦から出るためには、さながら脱出ゲームのようにあっちへ行き引き返し、こっちへ行き穴に落ち、登っては転げ落ち、穴から出ようとすると蓋がされる。
そんな中をくぐり抜けていかなければならなくなる。

 

何かを胸に抱えながら、苦しい戦いを強いられる人生になる可能性が十分にある。

 

先に図解で説明しておくとこうだ。

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量をこなし、質を上げて、オリジナリティがちょっとずつ芽生えながら、それに加えて勉強もしながらコツコツ、コツコツ頑張ったとしよう。
ゆっくりゆっくり成長出来ると思う。

だけど気が付いたら後から出てきた者にスパーンと追い抜かれてしまっているなんてことはよくある話。

もしかしたらコツコツやってるサイクルのスピードが全然違うっていうこともあるだろうし、持って生まれた何かも違うっていうこともあるだろう。

 

そんな人たちを何人も見てしまうと「あぁ、自分のこの道は、どうにもならないんだなぁ」と感じてしまう日と遭遇するだろう。

 

 

もしそうなってしまっても、時間だけは勝手に過ぎていってくれるから、今日は今日で適当に生きて終わっていくだけだから、少し気を抜いて生きてみてもいいんじゃないかい?
抱えた闇が軽くなるかもしれない。

 

彷徨ってる間に何かが見つかるかもしれないし、何も見つからないかもしれないけれど、何かに向かっていた事実だけはそこに残っている。

やらなかった訳じゃない。

やってみたけどダメだった。

ただそれだけのことじゃないか。

 

な?

 

自分がそこに行けなくても、そこに辿り着いて活躍しているものすげーやつらが、自分の代わりに頑張ってくれていると思えば少しは救われるだろう?

 

救われないって?
悔しすぎるって??

 

叶わない夢の1つや2つ絶対にあるものなのにな。

 

夢に希望を抱かせすぎる世間の風潮はどうにかならないものかね?
「絶対に夢は叶う」なんて、ありゃ嘘だ。

綺麗ごと、書きすぎている。
初恋は実ったかい?好きだった人と全員付き合えたかい?会いたい人に会えたかい?
夢は叶ったかい?

 

夢に「絶対」なんていう言葉を付けるから、純粋な人は信じてしまうんだ。
夢が叶った人が後付けで「絶対」と言っているだけなのだから。
叶った人にとってはそれが100%なんだから「絶対」と言えるに決まっている。
そこだけが取り上げられて、良い話だなぁーって広まって、信じる。

夢信者が生まれてしまう。

 

夢を持つことも希望を持つことも悪いことじゃないし、生きがいを持つためには良いことなのだけれど、夢に挫折したときの処方箋までは無いからな、こじらせる人は呪いのレベルまで落ちてしまうのだ。

 

 

呪いを解くカギは「あきらめて、受け入れなさい」というくらいしか、今のところはないかな。

 

埃を被っていてはダメだろう?

先日のエントリーで非常に心が折られた出来事を書いた。

search-life-work.hatenablog.com

 

かつて私の趣味だったカメラ。
今ではカメラも眠っていてヤル気すらない。
そんなカメラを再び、気軽に手にしてみようかな?と思った矢先に正論を突かれて「やっぱやーめた」となったお話だった。

文章の末尾をこう締めくくった。
「またしばらく私のカメラは埃まみれになっていることだろう。」と。

 

埃まみれになっている。

 

そんな状態で良いのか?
せっかく楽しんできた道具をそんなずさんな管理の中に置いておいて良いのか?

良いわけない。

カメラカバンの上に置かれているカメラは本当に埃が被っている。
それはダメだろう。
しっかりと綺麗にして中に仕舞っておかなければ。

 

本日、日曜日快晴。
私はカメラカバンごとごっそりと持ち出し、カバンの中のものを全部出して各種道具の手入れをすることにした。

 

まず問題があったのはカメラカバン。
実は知っていたのだけれどずっと放置していたことがある。
カバンの表面の各所に使用されている合成皮革が経年劣化でボロボロ落ちるようになっている。
黒くて小さなその黒いゴミはカバンの内外に散らかっている。
これが非常によろしくない。
一眼レフを始めた当初、カメラと同時に購入したカバンなのでさすがにくたびれてしまった。長く使えたなと思う。
しかしここまで来ると、カメラにもレンズにもゴミが付着してしまう原因なるのでこれ以上このカバンを使うことはできない。お疲れ様だ。よく頑張ってくれた。

心機一転・・・になるか分からないけれどカバンを変えることにした。
私は運良くもう一つカメラカバンを持っている。
アウトドア用のリュックサック仕様のカメラカバンだ。
買ってはみたものの、自然の中に出かけることはなくそのカバンは押入れの中で眠っていた。
使うしかないだろう。今がそのとき。

 

カバンをスタンバイできたので、カメラ、レンズ各種、小物などを拭いたりゴミ取りをしたりして手入れをしていった。
そしてカバンに全部綺麗に詰め込んだ。
バッチリ仕舞うことができた。

実に気持ちが良い。
実に清々しい。

 

こうしておけば、もし使いたくなったとき気持ち良く使い始めることが出来る。
見た目的にもピシッと片付いているので安定感がある。

 

これが良いのだ。
これで良いのだ。

 

 

良い感じになったので、良い感じの気分で出かけたら、行った先のお店で懐かしい人に出会った。
久しぶりだったので雑談に花が咲いたというわけさ。

なんか良いことあったじゃん?

 

良い日曜日だった。

 

 

LogicoolのG300sというマウスを買いました

そろそろマウスを変えなければならない。
そう感じていました。

何故ならば。

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これはマウスのケーブルです。
ご覧のように被覆が剥がれて中の細線が見えてしまっています。
マウス本体もかなり年季が入ってしまっていてお見せできるような代物ではございません。

無線のマウスならケーブル劣化を気にしなくて良いのですが、無線マウスの突然のバッテリー切れは非常に嫌いなので有線マウスをこよなく愛しております。

 

さて、私のささやかな楽しみはこういったパソコン関係のお買い物。
「次はどんなものを買おうかな?」と色々見るのが結構楽しいのです。
さらに光り物が好きな私。
光り物と言っても魚のことではありません。
パーツが光っちゃう物のことです。

かつて私が自作PCで楽しんでいた頃、光るファンなどを組み込んで楽しんでいたのも良い思い出です。

もういい大人なんだし、地味目のマウスを長年使っていたのですが、何を思ったのか今回は光り物に手を出しました。
いや、かっこよく見えたのですよ。
ロボットとかメカ好き男子にはよくありそうでしょ?

それでもギラギラ光るものは遠慮しました。
ささやかにオシャレに光る感じのものにしました。

 

それがこちら。

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なんかマウスの後ろから火花が散ってますね。
レーシングマシンのイメージですね。分かります。
きっと世の女性たちは「アホらしい」と、ひややかな称賛を送ってくることでしょう。

 

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取り出してみるとこんな感じです。
マットブラックな部分と光沢ブラックな部分でいい感じの模様になっています。
デザイン的にも手にフィットするようになっていて好感が持てます。
しかし、残念なことに私の手のひらのサイズが平均男性のそれよりも小さめだと思うので、若干手に余る感じもあります。惜しい。

 

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ゲーミングマウスというだけあってボタンも多めに付いています。
私、ゲームしないんですがね。
でも人差し指外側に付いている「戻る」「進む」ボタンは最低でも欲しいと思っている人なので、それがあるのは必須です。
中指側にある外側2つのボタンにはコピペ系のショートカットにしておきました。
マウスのドライバをLogicoolのサイトからダウンロードすれば、ボタンに何の操作を付加させるのか設定出来るようになるので便利です。

 

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裏面はこんな感じです。
ブルーのプラスチックですね。
シリアルナンバーのあたりはシャーペンで隠してあります。

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そしてこれが光るところ!!
写真だと綺麗じゃない・・・。
お好みで7色の色のどれかを指定できます。
気分によって色を変えて楽しんだりとかも出来ます。

本当はモード変更の目印なのだろうけれど、詳しくは割愛。

 

 

新しいマウスを手に入れた私は、少々浮かれた気分でパソコンに向かっております。
今まで使っていたマウスもサイズ感が自分の手にフィットする絶妙な感じだったので、光り物に飽きたらまた買い直すかもしれません。

 

今回購入したもの

 

 これまで使っていたもの(これのブラック)

サンワサプライ 有線ハイパーLEDマウス レッド MA-125HR
 

 

いきなり正論を突かれてやる気を削がれた話

お盆休み中友人と食事をした。

友人は最近楽しい出来事があったらしく、私は聞き役に徹していた。
仕事も趣味も充実しているようだった。

彼は話し始めると一方的になるので、私は相槌を入れながら聞いていた。
私自身が人に話したいと思うようなネタを持っていないので聞いていること自体は苦ではない。

 

友人の趣味の話がひと段落し、少々間ができたので何か話が広がるか?
と、一石投じる意味を込めて発言してみた。

 

「最近趣味という趣味がほとんどなくてさ、また久々にカメラでも初めて見ようかと思ったりしている。」と。

 

「何か撮りたいものでもあるの?カメラやっている人ってさ、撮りたいものありきで活動しているじゃんね。好きなもの、例えば電車とか、旅とか、人とか、そういう対象が先にあってカメラで撮るわけじゃんね。カメラが好き・・・というかカメラで何かを撮ることが好きなだけで、その好きはあるの?」

と、半ば語気強めで説教じみた感じで言われた。

軽い気持ちで会話が続けば良いかと思ってした発言に対して、ど直球の正論をストライクゾーンに豪速球で突っ込まれた。

なぜ私が叱られなければならないのかと若干イライラした。

確かに正論なのだ。
カメラは道具でしかない。
撮りたいもの、残したいもの、それにたいする情熱があってカメラが生きる。
撮ることが楽しくなる。
そういうものなのだ。

 

かつて私がカメラにハマっている頃は楽しかった。
どうやって撮ろう?どの角度から撮ろう?どういう色合いに仕上げよう?
とかいろいろ考えながら綺麗に残すことが楽しかった。
出かけ先で景色を残すことも楽しかった。
なんらかの情熱がそこにはあった。

今の私はどうかというと、正直そこまでの情熱はない。
記録としての写真が取れれば十分なので基本的にはスマホで十分だし、どこか観光地へ行く時にカメアをもって出かけるという程度で十分なのだ。

そう、そこまで今カメラに対しての情熱はない。
撮りたいものがない。感情を揺さぶられるものがない。
これ楽しいじゃん!ってならない。

なんで「またやってみようかな?」という発言をしたかというと、ハマっていた時のような感情を体験してみたいからだった。
また始めたら何か感じるものはあるのかな?と。
ちょっと新しい機材を買ってみたら気分も変わって楽しめないかな?と。
その程度の軽い気持ちだった。

 

趣味としてのカメラなのだから、そのくらいの軽い気持ちで始めるパターンもあって良いのだと思う。
本人が楽しめるのならばスタートがどういう状態かなんて関係のないことだろう。

しかし「情熱」的なものを引き合いに出されると、私には存在していないのでやる気なんていうものは一気になくなる。
正直、カメラを手にしようかなという今の気分は消えた。
どうでもいいわ、もう。

 

 

それにしても、話のネタで軽い気持ちで「ちょっとやってみようなか?」と持ち出した程度なのに、それすらも真面目に、「こうあるべきだ」「こうするべきだ」のような返事が帰ってくる友人しか、私にはいないのだろうか?

語気も強目で若干説教じみた感じで言われたのが本当に嫌だった。
私はそんなに目に付くか?鼻に付くか?気に入らないか?

イラストのことをテーマにして会話した時も然り。
写真のことをテーマにして会話した時も然り。
これでは私は私のことを何も話せなくなってしまう。

私の不遇さを話すか?楽しくないだろう?話す必要もないだろう。
それはブログだけで十分だ。

 

徐々に友達が友達では無くなっていくように感じる。
これが「友達が減っていき、最後には自分しか残らない」現象なのだろうか。
向こうはまだ友達だと思っているのだろうか?
もう誰とも会いたく無くなっていく。

そもそも私の周りの友達というのは厳しい意見を言う感じの人々しかいなかったのだっけ?
いや、そういう人たちが残ったのか?
私自身が厳しい人間だからだろうか?

 

もうちょっと息を抜いた感じで気楽に生きていくことすら許されないのだろうか?
「やんわりと」をテーマに生きようとすると「縛り」を求められているような。
そんな感覚に陥る。

 

いや、まぁ、周りの人の言うことなんか気にせずやってしまえばいいのかもしれないのだけれど。
今回はだめだ。もうやる気でない。
またしばらく私のカメラは埃まみれになっていることだろう。