人生につまづきながら生き方や働き方を模索していくブログ

どうにも社会人として会社に馴染めないとか、生きるのがちょっと疲れちゃってたりとか、生き方とか働き方に疑問を持ってたりとか、なんかそんな事とかそうじゃない事とかをのんびり書いていくブログ。

つまづいた!マイナンバーカードは市役所では発行してくれない!!

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マイナンバーの制度が始まり、交付されてから1年くらいが経ちました。

正直なところ、「個人個人に番号が割り振られ管理される」というのは凄く気持ち悪いですし、肩身の狭い感じを覚えてしまって好きではないです。

しかし、今後も日本に住み続けていくのならば、結果的にこの制度を受け入れる他ないでしょう。

会社勤めの方は、すでに会社に個人番号を提出しているでしょうし、投資をされている方も、証券会社に個人番号を提出されていることでしょう。

他にも、今後いくつか紐づけられてくると思いますので、数々の処理がこのカードで管理されることになりますよね。

 

ある意味便利かもしれないけれど、ある意味気持ち悪いし、悪用されたらとんでもないことになります。

諸刃の剣。

 

そんな私。

 

この1年、マイナンバーカードを作ることは見送ってきました。
通知カードが来ていますので、とりあえずそれがあれば十分だろうと考えたからです。
しかし。
マイナンバーカードを作っておくと手続きが簡単になるであろうこともやはり出てきます。

 

 

マイナンバーカードを作っておくメリット

  • 個人番号証明書類。
  • 各種行政手続きのオンライン申請が可能。
  • 本人確認の際の身分証明書。
  • 民間のオンライン取引に利用できる。
  • サービスごとに分かれていたカードの一元化。
  • コンビニでも公的証明書を取得可能。

というようなメリットがあります。
下記サイトから抜粋させて頂きました。

www.kojinbango-card.go.jp

 

今後、病院とか銀行とかそういうところにも紐づけされていくらしいので、免許証よりももっと重みのある無くすとヤバいことになるカードですね。

とにかく、色々な場面でマイナンバーを求められた場合、通知カードのままでいるよりもマイナンバーカードに格上げしておいた方が便利で有用であると判断したほうが良さそうです。

でもやっぱり紛失や盗難は危険なので気を付けたいところです。

 

マイナンバーカードの発行は市役所ではやってくれない!

正直がっかりです。
私は市役所でマイナンバーカードを発行してくれるものだとばかり思っていました。

 

私の手元にあるのは、マイナンバーの

  • 「通知カード」
  • 「個人番号カード交付申請書 兼 電子証明書発行申請書」

の2つです。
会社にマイナンバーを提出したときなどは「通知カード」を使いました。

 

今回、マイナンバーカードを発行してもらうにあたり、必要なのは申請書の方ですよね。

裏面に顔写真を貼るスペースと署名&捺印する箇所があるのが見受けられましたので、まずはそこの準備をしました。
顔写真はパスポートに使う写真と同等のサイズということです。近所の証明写真ボックス(インスタント証明写真?)へ足を運び、撮影して来ました。

書類に証明写真を貼り付けたら、署名して捺印しました。
申請日の記入は最終段階でしようと思いましたので、空欄にしておきました。

 

さぁ!いざ行かん。市役所へ!!

 

勢い勇んで市役所に向かいました。
長時間待たされることも覚悟していました。
受付へ行き、「マイナンバーカードを作りたいのですが・・・」と話をしたところ、次のような説明を受けました。

 

マイナンバー通知カードが送付されてきた封筒の中に“返信用封筒”が入っていたと思うのですが、それに申請書を入れて送ってください。もし封筒が無い場合はこちらの住所に当てて郵送してください。(住所の書かれたシートを貰いました)

②カードが出来上がってきたら一度市役所にカードが届きます。その時点で「カードが出来上がってきました」という連絡を入れますので、市役所にお越しください。その時に通知カードと引き換えになりますので、紛失等の内容大切に保管しておいてください。

 

とのことでした。
マジか。すぐ作ってくれないのか。
っていうか何だ?返信用封筒って?そんなのあったか?

 

 

マイナンバーカード申請書「返信用封筒」は一体どこに?

 私は「返信用封筒」なるものの存在を知らない。
知っているとするならばきっと両親だろう。
なぜなら、親と同居しているからだ。
家族分、まとめて送付されてきたのであるならば、きっとその封筒に入っているはず。

そして市役所から帰宅した私は両親に尋ねる。
両親も「返信用封筒」の存在は知らなかった。

しかし、通知カードが送られてきたときに入っていた封筒を探してもらった。

するとそこに求めているものがありました。

申請書を送付するための「封筒」が。

結局、「よほど真面目な人」だとか「急いでカードが欲しい人」以外は中身を読んだりせず片づけておくだけという状態だと思います。

だってめんどくさいですもんね。
こういう書類関係って。
出来れば後回しにしておきたい。

だから読まない。見ない。

結果、私のように「市役所でやってくれるんでしょ?」という思考に至る訳です。

 

また、この「返信用封筒」は1人一枚ありません。例えば家族が4人いるとすれば4人で1枚です。
ですので、マイナンバーカードの申請は家族全員分まとめて行うのがお得です。
この封筒は無料で使えます(H29年10月まで)。

それ以外の場合は封筒代と切手代がかかります。
たいした金額ではないですけれどね。

 

ということから、私は両親を急かしてマイナンバーカードを申請することにします。

 

 

 

パソコンやスマートフォンからもマイナンバーカードの申請が出来るよ!

 自分のカメラやケータイで撮影した顔写真があればパソコンやスマートフォンから申請が出来るみたいです。
但し、「メールアドレス」の登録が必須になりますので、それをめんどくさがった私はやめました。


そして写真も自撮りで綺麗に撮れる自信がありません。
使用できる写真には規定が存在します。自分で撮った写真なら何でも使えるわけではありません。

 顔写真の規定

www.kojinbango-card.go.jp

 

  • メールアドレスを登録することが億劫でない方。
  • 証明写真を規定通り自分で撮影出来る方。

ならば、きっと簡単に出来ると思います。

 

 

証明写真機からもマイナンバーカードの申請が出来るよ!

 証明写真を撮りに行ったとき、「何か見慣れないものがあるなぁ」とは思ったけれどもスルーしてしまった。
それがきっとこの機能だった。間違いない。
ここで申請出来たのなら楽じゃないか!!

QRコードをかざして、ガイダンスに従っていけばそのまま申請出来てしまう優れもの!使ってみたらよかったなぁ。

しかし、1つ疑問。

<ケース1>
800円使って写真を撮影して、証明写真の残り(基本1枚使うだけで後は残るので他のことに使えるかもしれない)が手元に残る場合。そして申請書を郵送する。

<ケース2>
800円使って写真を撮影して、申請。「申請確認プリント」を受け取って完了の場合。

 

これって<ケース1>の時のほうが、余りの写真が手元に残るという観点から見ればお得かもしれない。
<ケース2>だと申請まで終わっちゃう手軽さの代わりに、手元に写真は残らないみたい。(使ってないので検証出来ないけれど)

 

どちらを選ぶかは自己判断でお願い致します^^

 

 

マイナンバーカード総合サイト

調べる時に便利かもしれないので、「マイナンバーカードの総合サイト」を貼っておきます。

www.kojinbango-card.go.jp

 

 

おわり。

 

 

 

春が近づいてきたなって感じる気温になってきましたね

朝晩はまだまだ冷え込みますが、日中はずいぶん温かい日差しが届くようになりましたね。

日によっては暑いくらいだと感じてしまいます。
いよいよ、今年も春がやってくるんだなという気がし始めました。
まだ、ついこの間正月だったような…?と、思ってしまうこともありますが、もう2月も終わりです。

受験シーズン。
卒業、入学、引越しシーズン。
入社シーズン。

きっと日々が駆け抜けていくことでしょう。

 

そんな私は今日は仕事はお休み。

2か月ぶりに床屋へ行ってきました。
まぁまぁ髪の毛も伸びています。
いつもの床屋のご主人と奥様と談笑しながら髪を整えて頂きました。

床屋さんって、軽めのマッサージがセットで付いてきますよね?
まぁほんと「気持ちばかり」っていう程度のマッサージなのですが、たったそれだけのマッサージだったのにも関わらず、気持ちよく感じました。

気持ちよく感じてしまったということは、私の体は凝っている。

そういうことなのでしょうか。
体が硬くなってしまっているのだなぁ。

大丈夫、今年は去年よりも健康を意識していくつもりだから!!

 

だから・・・。

 

 

 

 

 

床屋で髪の毛もスッキリしましたので、気持ちよく帰ってこれました。

午前中に床屋だったので、午後からはフリーです。

せっかく天気が良いので、ちょっとドライブにでも出かけようかと思って、梅が咲いている場所がどこかにないかと検索して、その公園を目指してドライブしてきました。

 

公園に着くと、池の周りに何やら人だかりが。

しかもめっちゃごっつい望遠レンズをくっつけたカメラを構えた年配の方々。
「え?なんかいるの??」と、私は興味深々です。

 

その中の一人に声を掛けて訪ねてみたところ、「カワセミ」が居たそうで、また飛んでくるのを待っているとのことでした。

野鳥が好きな方々の集まりだったようです。

カワセミかぁ。

子供の頃は近くの用水路なんかで見かけたりしていたけれど、確かに今は全くと言っていいほど見かけなくなりました。
個体数が減ったのでしょうか。

綺麗な鳥ですよね。

 

 

そして園内を散歩しつつ、目的の梅の花を見ていました。

いい香りがしています。

 

しかし。

 

なんかちょっと物足りない。

もっと「ぶわーーーっ」って咲き誇っている感じのを想像していた。

満開の梅の木に囲まれたかった。

が、木の本数もそんなに多くは無かったですし、花が開き過ぎているものと、まだ蕾のものとあって、丁度いい可愛い感じのやつが少ないっていう。

 

残念。

 

でも、「梅の花を見に行きたい」という自分の中の欲求を叶えてあげることが出来ましたので、今日も私は良い日でした。

 

 

 

リーボックの靴を買った私ですが、アディダスの靴も買いました。

先月のエントリーでこのような記事を書きました。

覚えていらっしゃいますでしょうか?

search-life-work.hatenablog.com

 リーボックの靴のデザインが好きだし、履き心地も良かったので、新しくリーボックの靴を新調したというエントリーでした。

 

そろそろ、本当に今まで履いていたジグテックが限界に到達しようかというくらいの疲労感に達しました。

そして新調した「リーボック ジーポンプ フュージョン」の出番がやってき…ませんでした(え?

 

なんかもったいなくて使えない!!!

 

カッコイイし。大切に履いていきたい。
という、貧乏性が発動されてしまいました。

 体を動かしたい!

という気分になったときに、さらに気分を盛り上げるために使いたい!

 

流石に普段使いするには勿体なさ過ぎる!!

 

 

それだけデザインが気に入ってしまっているのです。
(もう少しインソールが分厚ければ尚よかったのですが)

 

 

結局普段使い出来る靴をもう一足買わなければならない事態に陥ってしまいました。
なんという無駄遣い…。

2足目は出来るだけ安いものにしたい。
5000円以内だったらなんとか許容範囲内だということにして、新たに靴を探すことにしました。

 

普段使い=多少の損傷をしても精神的に苦痛の無いもの

 

無名ブランドの安い靴はいくつか見つけましたが、品質や履き心地などに信頼を寄せて良いものかどうか怪しいところです。

レビューを読んでいても安心できない雰囲気でした。

 

 そして見つけたのがこちら。

 金額も予算内でしたし(この記事を書いている時は、私が買った時よりも若干安くなっていて悔しい)、オーソドックスな黒系なので、仕事で履いても一番問題なさそうです。

 

早速注文して届いたので、履き心地をチェック!

何より軽くて動きやすい。そんな印象を受けました。
仕事が立ち仕事で、それなりに動き回ったりするので足が蒸れたりするのですが、メッシュ素材なので蒸れを気にする必要なく仕事が出来ます。

クッション性も程よくあり、立ち仕事をしていても疲れをほとんど感じることはありません。

 

※ランニングシューズということですが、私は基本ランニングをしないので、ランニングをした時の使用感は不明です。

 

 

 これで安心して普段使いできる靴として認定することが出来ました。

 

 

 

 

他人の目を気にしないような生き方が出来るように訓練を始めてみようと思う。

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生きづらい。

 

その一つが「他人の目を気にしてしまう」ということ。

 

あなたは会社や学校で、「自分は嫌われているのではないだろうか?」と感じたことはありませんか?

私は常日頃から感じています。

 

自分の特性として

  • 協調性がないのをフォローするために周りに同調しすぎてしまうこと。
  • 自分に自身がないから、周りに気を使って優しくしすぎたり気を配ったりしてしまうこと。
  • 何かちょっとでも相手からの違和感を感じてしまうと「あ、自分は相手にされていないんだな」と感じてしまうこと。
  • 自分が与えた優しさは相手からは返ってこないということ。
  • 被害妄想をしているときは、人を寄せ付けないオーラを出しているということ。
  • 「独りだ。孤独だ。愛されていない。」と感じてしまっていること。
  • 結局自分は仲間ではない。ただそこにいるだけの人なんだなと思ってしまうこと。

 

ものすごい寂しさと、ものすごい悔しさと、ものすごい憎しみが生まれてきます。

 

どうしていつも自分はこうなんだと。
どうして自分だけいつも人の輪に入れないのかと。
被害者意識だけが残ってしまいます。

 

そして、

  • 考え方の価値観や世界観が違うから会話も長続きしないし楽しくないのではないか?
  • 言葉の選び方、使い方が違うからコミュニケーションが取りづらいと思われているのではないか?
  • 仕事のことだけ連絡が取りあえればそれでいいと思われているのではないか?
  • 変な空気感や距離感があるから近づきにくいと思われているのではないか?
  • と、その事象の理由の原因を探ることを始めてしまいます。

 

そしてこの理由をもとにして、相手に良く思ってもらうためにはこうしてみたら?・・・という「迎合」する方向へと向かってしまいます。


そういうことを考えれば考えるほど、脳が疲れてきて思考が鈍化してしまいます。
真っ黒い闇に包まれたような気分になってしまいます。

 

 


もし、被害妄想をし始めたらどうやって自分の中の心の平静さを取っていけばいいのだろか。

 

まずは「今、自分はこう考えてしまっている」と認めること。
被害妄想を始めてしまうと、そこだけに思考が集中してしまうので、一歩引きさがって「あ、自分は今妄想を始めている」と気が付いてあげるということ。

 

そして「今」の自分の状態を確認すること。

 

周りに対して変なオーラが出ていないだろうか?
口調や態度はいつも通りだっただろうか?
と、まずは見直してみます。

 

人間なのでもちろん日によって「変化」をしてしまうものです。
ですが被害妄想による良くない言動を取ってしまった場合少しづつ見直していこうと思うことにします。

 

また、もし「変なオーラ」が出てしまっていて「近寄りがたい」と思われている状況になっているとき(実際思われていた)は、逆にそれを壊そうとせず、「私は目の前の仕事だけに集中している」のだという「真面目モード」に入っていることにしておけば、周りもそっとしておいてくれるので、心の冷静さを取り戻す時間に当てればいいと思うようにします。
変なオーラが出ているときに、無理して人の輪に入って行こうとすると、より変な会話が生まれてしまう可能性があるので、あえて仲間外れを選ぶことにします。

 

他人に対して被害妄想してしまうということは、他人から架空の負の感情を受けていることになります。
その架空が本当だっとしても偽物だったとしても、自分にとってのダメージは大きいし、相手も場合によっては心外かもしれないですよね。

 

被害妄想をしてしまうのは、自分が寂しかったり、認めてもらえていなかったり、ぞんざいに扱われたと感じてしまっていたりなどの、なんらかの「満たされない感情」がそこに眠っています。


自分の気持ちを満たしてほしいのだけれども、相手はそれを与えてくれない(与えてくれるはずもない)。
返ってくるはずのない感情を、相手に求めてしまって、求めたものが与えてもらえないから落ち込む。

そんな流れがあるんじゃないだろうか、と思います。

 

ということは、自分の気持ちさえ満たしてあげることができれば、被害妄想をする必要もなくなるのだということ。
自分の揺るがない自信と愛情とものさしをもっていれば、周りの言動に左右されない自己が形成され「自分は自分だ」という信念のもとにありのままで行動することができる。

 

自分の存在を確かめるために、あえて自分から人助けをしに行かなくてもいい(過度な助言とか)。
必要なときに、適切な分だけ相手との関係を築くことができるのが、お互いにとって賢い生き方になるのだと思う。

 

まずは自分の心を満たすこと。
「今、孤独だ」→「真面目に仕事に取り組んでいるからすごい」
「今、辛い」→「深呼吸して、一旦辛さを受け入れよう。」

とかね。
自分で自分を否定的に扱わずに、自分で自分を肯定する気持ちの持ち方をしていくことが大切だと思うわけです。

 

そして、

  • 助けを求められる前に助けないこと。
  • 助けを求められたときに、適切に助けること。
  • 自分から変に気を遣い過ぎないこと。
  • 相手から良く思われようとしないこと。

必要とされてないと思ってしまう自分の思考を一度止めて、自分の目の前の仕事がやれていれば、それは必要とされていると考えること。
必要以上に「もっと必要とされたい、もっと認められていたい」と、きっとどこかで思ってしまっているので、そのレベルを下げてあげること。


とにかく被害妄想をし続けて、相手の心理を読もうとしたり勝手に想像してマイナスイメージばかりを考えていると相手のことが嫌いになるし、認めることができなくなるし、気持ち悪くなります。
そして頭がどんどん疲れていくので、やめたい。やめよう。

 

過剰でもなく過少でもなく、「丁度良いところ」「丁度良い距離感」。
そういう物差しが「相手に合わせて生きてきた」ことによって形成されていないから、今辛いことになっているのかもしれません。
「迎合」は身を守るために必要だったのかもしれません。
ですが、それを続けていると大人になってから「辛さ」を味わうことになってしまいます。
「気が付く」ということが大切だなと思いました。

 

 

自分らしく生きる

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  • 作者: ノッピー
  • 発売日: 2016/04/29
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パイ生地が何層にもなっているケーキの綺麗な食べ方を私は知らない。

今日はどうでもいい文章を書いて楽しみたいと思います。

 

疲れていると甘いものを食べたくなりますよね?

体が欲している!というやつです。

 

疲れが溜まっている時って、チョコレートとか、シュークリームとか、ケーキとかとにかくカロリーが高めの甘いものが食べたくなります。

 

そして私はケーキを買いました。

なんかオシャレで可愛い感じの見た目をしたケーキでした。

 

さて食べようとしたのですが、なんとパイ生地が層になっているタイプのアレでした。

 

ミルフィーユ!!

 

買う前に気づけよ!というか、見た目の「美味しそう!」だけで選んだのでどんなケーキであるのかというものは全く気にしておりませんでした。

 

どうやって食べたらいいのだろうか。

 

私の家ではケーキを食べる時のスタンダードはスプーンです。

フォークという選択肢は昔からありません。

皆様のご家庭はスプーン派ですか?フォーク派ですか?

 

スプーンを片手にミルフィーユに挑むのですが、パイ生地がスプーンを許すわけがありません。

門前払いです。

スプーンで挑み始めた私の頭の中にフォークという選択肢が出てくるはずもなく。

 

全くもって下品かもしれませんが、誰に見られているわけでもありませんし、自宅でのことですので、目を瞑っていただいて。。。

 

手で分解して食べました。

 

 

美味しかったけれど、こういうのカフェで頼んだら食べるの難しいよね。

(カフェでこんなオシャレなの頼まないけれどさ。むしろ行くの喫茶店だし)

 

 

ミルフィーユの食べ方について少し検索して調べてみました。

そうすると「倒して食べる」というのが1つの方法らしいです。

なるほど、ミルフィーユも倒してしまえばいいのか。

ショートケーキなんかでは、最後に倒れそうになってきた時、自分から倒しに行って寝かせてから食べるという方法を私は取っていますが、ミルフィーユは最初から倒してしまえば良い訳ですね。

でもスプーンはさすがに通らないと思うので、せめてフォークで攻めて行ってみたいです。

 

しかし、また1つ疑問が浮かんできました。

倒して分割して食べるという方法。

これは層に挟まれている味が全て同じならいいのだけれど、せっかく何層かにわかれている味が別のものだった場合。

せっかくなら口の中で溶け合うように食べてみたい!というのが消費者の希望なのではないでしょうか。

つまり、分割してしまってはその夢が叶わない。

別々にカットしておいて口の中で合わせてしまえばいいじゃん!なんていう元も子もない発想もありますが、一口でいろんな味を口の中に運びたい。

そういう希望はどうやったら叶えられるのでしょうか?

 

ミルフィーユがこんなに奥の深いケーキだったなんて。

むしろ今初めて気がついた私のケーキ人生とは一体。。。

(滅多にケーキを食べないということがばれてしまいますね)

 

 

 

銀座千疋屋 銀座ミルフィーユB(15個入)