人生につまづきながら生き方や働き方を模索していくブログ

どうにも社会人として会社に馴染めないとか、生きるのがちょっと疲れちゃってたりとか、生き方とか働き方に疑問を持ってたりとか、なんかそんな事とかそうじゃない事とかをのんびり書いていくブログ。

他人の目を気にしないような生き方が出来るように訓練を始めてみようと思う。

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生きづらい。

 

その一つが「他人の目を気にしてしまう」ということ。

 

あなたは会社や学校で、「自分は嫌われているのではないだろうか?」と感じたことはありませんか?

私は常日頃から感じています。

 

自分の特性として

  • 協調性がないのをフォローするために周りに同調しすぎてしまうこと。
  • 自分に自身がないから、周りに気を使って優しくしすぎたり気を配ったりしてしまうこと。
  • 何かちょっとでも相手からの違和感を感じてしまうと「あ、自分は相手にされていないんだな」と感じてしまうこと。
  • 自分が与えた優しさは相手からは返ってこないということ。
  • 被害妄想をしているときは、人を寄せ付けないオーラを出しているということ。
  • 「独りだ。孤独だ。愛されていない。」と感じてしまっていること。
  • 結局自分は仲間ではない。ただそこにいるだけの人なんだなと思ってしまうこと。

 

ものすごい寂しさと、ものすごい悔しさと、ものすごい憎しみが生まれてきます。

 

どうしていつも自分はこうなんだと。
どうして自分だけいつも人の輪に入れないのかと。
被害者意識だけが残ってしまいます。

 

そして、

  • 考え方の価値観や世界観が違うから会話も長続きしないし楽しくないのではないか?
  • 言葉の選び方、使い方が違うからコミュニケーションが取りづらいと思われているのではないか?
  • 仕事のことだけ連絡が取りあえればそれでいいと思われているのではないか?
  • 変な空気感や距離感があるから近づきにくいと思われているのではないか?
  • と、その事象の理由の原因を探ることを始めてしまいます。

 

そしてこの理由をもとにして、相手に良く思ってもらうためにはこうしてみたら?・・・という「迎合」する方向へと向かってしまいます。


そういうことを考えれば考えるほど、脳が疲れてきて思考が鈍化してしまいます。
真っ黒い闇に包まれたような気分になってしまいます。

 

 


もし、被害妄想をし始めたらどうやって自分の中の心の平静さを取っていけばいいのだろか。

 

まずは「今、自分はこう考えてしまっている」と認めること。
被害妄想を始めてしまうと、そこだけに思考が集中してしまうので、一歩引きさがって「あ、自分は今妄想を始めている」と気が付いてあげるということ。

 

そして「今」の自分の状態を確認すること。

 

周りに対して変なオーラが出ていないだろうか?
口調や態度はいつも通りだっただろうか?
と、まずは見直してみます。

 

人間なのでもちろん日によって「変化」をしてしまうものです。
ですが被害妄想による良くない言動を取ってしまった場合少しづつ見直していこうと思うことにします。

 

また、もし「変なオーラ」が出てしまっていて「近寄りがたい」と思われている状況になっているとき(実際思われていた)は、逆にそれを壊そうとせず、「私は目の前の仕事だけに集中している」のだという「真面目モード」に入っていることにしておけば、周りもそっとしておいてくれるので、心の冷静さを取り戻す時間に当てればいいと思うようにします。
変なオーラが出ているときに、無理して人の輪に入って行こうとすると、より変な会話が生まれてしまう可能性があるので、あえて仲間外れを選ぶことにします。

 

他人に対して被害妄想してしまうということは、他人から架空の負の感情を受けていることになります。
その架空が本当だっとしても偽物だったとしても、自分にとってのダメージは大きいし、相手も場合によっては心外かもしれないですよね。

 

被害妄想をしてしまうのは、自分が寂しかったり、認めてもらえていなかったり、ぞんざいに扱われたと感じてしまっていたりなどの、なんらかの「満たされない感情」がそこに眠っています。


自分の気持ちを満たしてほしいのだけれども、相手はそれを与えてくれない(与えてくれるはずもない)。
返ってくるはずのない感情を、相手に求めてしまって、求めたものが与えてもらえないから落ち込む。

そんな流れがあるんじゃないだろうか、と思います。

 

ということは、自分の気持ちさえ満たしてあげることができれば、被害妄想をする必要もなくなるのだということ。
自分の揺るがない自信と愛情とものさしをもっていれば、周りの言動に左右されない自己が形成され「自分は自分だ」という信念のもとにありのままで行動することができる。

 

自分の存在を確かめるために、あえて自分から人助けをしに行かなくてもいい(過度な助言とか)。
必要なときに、適切な分だけ相手との関係を築くことができるのが、お互いにとって賢い生き方になるのだと思う。

 

まずは自分の心を満たすこと。
「今、孤独だ」→「真面目に仕事に取り組んでいるからすごい」
「今、辛い」→「深呼吸して、一旦辛さを受け入れよう。」

とかね。
自分で自分を否定的に扱わずに、自分で自分を肯定する気持ちの持ち方をしていくことが大切だと思うわけです。

 

そして、

  • 助けを求められる前に助けないこと。
  • 助けを求められたときに、適切に助けること。
  • 自分から変に気を遣い過ぎないこと。
  • 相手から良く思われようとしないこと。

必要とされてないと思ってしまう自分の思考を一度止めて、自分の目の前の仕事がやれていれば、それは必要とされていると考えること。
必要以上に「もっと必要とされたい、もっと認められていたい」と、きっとどこかで思ってしまっているので、そのレベルを下げてあげること。


とにかく被害妄想をし続けて、相手の心理を読もうとしたり勝手に想像してマイナスイメージばかりを考えていると相手のことが嫌いになるし、認めることができなくなるし、気持ち悪くなります。
そして頭がどんどん疲れていくので、やめたい。やめよう。

 

過剰でもなく過少でもなく、「丁度良いところ」「丁度良い距離感」。
そういう物差しが「相手に合わせて生きてきた」ことによって形成されていないから、今辛いことになっているのかもしれません。
「迎合」は身を守るために必要だったのかもしれません。
ですが、それを続けていると大人になってから「辛さ」を味わうことになってしまいます。
「気が付く」ということが大切だなと思いました。

 

 

自分らしく生きる

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