人生につまづきながら生き方や働き方を模索していくブログ

どうにも社会人として会社に馴染めないとか、生きるのがちょっと疲れちゃってたりとか、生き方とか働き方に疑問を持ってたりとか、なんかそんな事とかそうじゃない事とかをのんびり書いていくブログ。

毎朝本当につらい。朝が弱い。その否定的なイメージを覆す訓練でもしてみようじゃないか。

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私は朝が弱い。

 

「起きることができない」という意味だけの「朝が弱い」ではない。

起きることだけなら携帯のアラームで起きることが出来る。

 

しかし、目覚めが本当に悪い。

ものすごくマイナスなイメージというか、どんよりとした気分で朝が始まる。

「キレイすっきり今日も爽快!!」なんていう日は殆どない。

大抵は「あー、気分重い。仕事だるい。動きたくない。寝ていたい」だ。

 

重たい体を動かしながらベッドから出て朝食に向かう。

実家暮らしの嬉しいところは、朝ごはんが準備されているところだろう。

これが一人暮らしだったならば、多分朝食は食べない。

もしくは、仕事に行きがてらコンビニで何か。。。という感じだろう。

私にとって食事というものは「愉しむもの」ではなく「ただのエネルギー補給」に過ぎないらしい。

 

さて、朝ごはんをのんびり食べる私。

頭はぼーっとしている。とりあえず詰め込む。でもゆっくりと。

そしてここからが私の戦いだ。

だいたい毎朝3回。

トイレに行く。

大きい方の用を足しに。

過敏性腸症候群だと自分勝手に診断しているアレである。

このブログにも何回か書いている記憶があるけれど、また書きたくなったので書いてみる。

このトレイ事情は長年の付き合いなので、ある意味仕方ないのだけれども、改善されたらきっと世界が変わる。

朝の世界が変わる。

1つの戦いから解放されるような清々しい気持ちになるはずだと思っている。

 

そして出勤する。

出勤すればスイッチが入るので、元気にテキパキと仕事をこなし始める。

180°性格が変わるとまでは言わないが、90°くらい性格が変わるかもしれない。

ここまでくれば通常営業なのである。

 

さて、朝を辛いと感じている私。

  • 寝起きが最悪。目覚めも悪いし気持ちも思い。
  • とにかく腸の具合が超悪い。

ダブルパンチで重苦しい。

 

そんな私の気持ちを救ってほしい。

いや、自分で救うしかないのだけれど。

 

朝はそういうものだと受け入れることから始めることにした

いやだ、いやだと思っているだけ。

今日も最悪だと感じているだけ。

その繰り返し。何年もの繰り返しの染み付いた思考の癖。

「いやだ」「この体は最悪だ」という負の感情の癖。

それが余計に朝の自分を不幸にさせている。

まずはこの思考の癖にストップをかけないといけない。

あれ?前にもこんなこと書いていたっけ?

意識は繰り返さないと忘れるからね。

忘れてしまえば出来なくなってしまうからね。

思い出して、忘れて、を繰り返して。良い癖を身につけたいものだね。

 

だからこう思うことから始めてみようと思う。

「朝、寝起きが悪いのは自分の”普通”のことであって”最悪”ではない」ということ。

他のサイトでの記述によると、「朝はそういう脳の状態」になっているそうだ。

だから「朝、目覚めが悪くて気分が重い」という状態なのも「ある意味普通である」ということらしい。

だから「朝、自分が寝起きが悪いことを特に落ち込んだり責めたりする必要はない」ということ。

「すっきり起きれない自分を責める必要はない」ということ。

 

そういう自分への許しは大切らしい。

まずはそこから。

 

あとは、「寝起きに良いもの」も何か探したいな。

そしたら何かスイッチ入って元気になれるとか。

欲張りすぎると出来なくなるので、小さいことから挑戦するよ。

 

オレンジジュースとか、レモン水とか良さそうかな??

 

 

ちなみに、過敏性腸症候群は寝起きの問題だけじゃ解決できないだろうと思うので、色々と複合的に解決されて、最後に治るものなのかもしれません。

(体力面とか自尊心とか自律心とかそういうものね)

 

 

 

今日の締めの言葉

明日の朝も寝起きは最悪だろうけれども、それが普通なのだと受け入れる。

 

 

 

 

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自分と似たような性格の人と一緒にいて居心地が良い場合と悪い場合

生きていると自分と似たような性格の人とお知り合いになることってありますよね。

 

「あ、こういう時にこう感じるんだ!」っていうのが共有できたり、行動や会話のペースや内容、言葉遣いなどから滲み出てくる「自分と似ている」という感覚。

 

それがきっと「親密感」や「共同体感覚」に繋がるのでしょう。

「私と同じだ!」「私と似ている!」って。

だから仲良くなりやすいし、一緒にいて楽しいとか居心地がいいとか感じられるのだと思います。

 

しかし実は自分と同じような性格の人と一緒にいてプラスに作用する場合とマイナスに作用してしまう場合もありますよね。

 

よく言われる「自分の鏡」というものです。
自分の良い面はプラスに作用して、マイナスの面はマイナスに作用してしまうということです。
相乗効果で楽しさ倍増、憎さ倍増というものです。

 

プラスに作用する場合

自分と似たような性格の人と一緒にいた時に、良い面がうまくかみ合えばとても居心地がいいですし楽しいです。

この人とはとても仲のいい友達になれそうな気がする!とか思ってしまいます。
居心地がいいので関係を長く続けられるかもしれないという予感や、心を寄せてしまいたくなることでしょう。

考え方、感じ方、行動パターンが似ているので、ふとした瞬間の小さな楽しさがたくさん出てくると思います。

 

 

マイナスに作用する場合

これは自分自身の悪い性格の部分と、相手の悪い性格の部分がぶつかり合ってしまった時に起こります。

例を挙げてみましょう。

  • 「何か」にこだわりを持っていて曲げない意見を持っている時。
  • わがままで気まぐれで喜怒哀楽の変化が激しくて「切り替わり」が読み取れない時。

まるで自分の相手をしているようで、とても気まずい雰囲気が漂います。
そのこだわりのポイントが同じなら良いのですが、さすがにそこまで同じというのは相手に求めすぎですし期待しすぎです。

そこはあくまでも違う人間だという認識で考えないといけないのですが、性格が合う場合と合わない場合の両方が存在しているため、相手に対してとても複雑な感情を抱いてしまい、混乱してしまうこともあるかもしれません。

 

「性格が似ている」と思っていたけれども「やっぱり違っていたの?」「いやむしろ正反対?」とかまで思ってしまうこともあるでしょう。

そうなってくると”一緒に居たくない!”とさえ感じてきてしまいます。

自分のいやな部分を目の当たりにしているから見たくない!ということに近いのだと思います。

 

もちろん全然性格が反対だということに気がついて「合わない」場合もあるかもしれません。

 

ですが、「性格が似すぎていて居心地が悪いなと感じることもある」という事例も存在するなと感じました。

 

 

まぁ自分が「相手と似ている」と思っていても、相手は「私とは違う人」と思っていたとしたら、そこに感情のすれ違いが発生していてぎこちなくなったりもするんですけれどね。

人の心って難しい。

 

 

 

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独り寂しい夜を越えていくこと

おはようございます。

かたつむりです。

 

30代独身実家暮らしの人生こじらせ系男子の心境です。
(男子と呼べない年齢ですが語呂がいいので男子)

 

最近、夜寝る前に非常に寂しくなったり虚しくなったりすることが増えてきました。

独りなんて平気だし、独りの方がいいと思っていたはずなのですが、夜になると突然寂しさに襲われます。

 

とっくに捨てたはずの感情だと思っていたのに、捨てるどころか肥大化してきました。

一度気にし始めるとずっと付き纏ってくる感情なのでこれがやっかい。

 

自分にも隣で一緒に寝てくれる彼女がいたらいいのに。

 

と、望んでしまいます。

でも私は女性とのお付き合いは上手くいかない。

結局別れることになるだろうと感じてしまうので前向きにならない。

また辛くなる。

 

 

もう人の体温を何年感じてないだろうか。

優しさを何年感じていないだろうか。

きっとそこに生きて行く希望や幸せや温もりを感じて生きている人が多いことだろう。

しかし私はそれと同時に、裏切られたり拒絶されたりを感じてくるようになり、心が通わなくなる。

女性を信用できなくなってしまうのだ。

 

だから上手くいかない。

最初から求めない。

 

しかし夜は寂しい。

このジレンマ。

 

本当は優しくされたいし、愛されたいし、認められたいのだ。

包まれたいのだ。

恥ずかしいことに。

 

「捨てた」と思っていた感情は、実は押し殺していただけ。

押し殺してぎゅうぎゅうに詰め込んでいたものが、キャパオーバーとなって溢れ出してきているのかもしれない。

あー、これは辛いやつだ。

また周りと比較して自分の立ち位置を下に見積もってしまうケースだ。

 

そうなる前に、この感情を受け入れてあげないといけない。

受け入れられるのか?

他者からも愛されない。

ましてや自分で自分を卑下しているこの私が。

 

愛することが出来ないのに、愛されることを望んでいる。

なんとも自分勝手な感情である。

 

 

 

 

ブログのやる気が低迷中だということを打ち明けてみる。

実は今、私はブログのやる気が低迷中だったりする。

 

書きたいテーマはあるのだけれど、文章を考えようとすると、急に頭が回らなくなってしまう。
「テーマに沿って書く」ということが「楽しい」から「めんどくさい」に変わってしまったようだ。

「楽しめない」と「書けない」。

 

今はそういう波が来ていると思って自分の心と相談して書くことをゆるやかなペースにしてみようと思う。
もしくはテーマに沿った記事を書くことを控えてみようと思う。

 

ブログを書くことに気が向かなくなってしまった理由が実は2つある。

 

理由1。

実は一番書きたいと思ったことはもう書いてしまった。
自分の心の整理を付けるために書いていたブログ。
自分が何に興味があって、どういう事が得意なのだろうか?ということを見直してみたいと思って書いた記事。
それが達成されてしまった。

会社で働くことのめんどくささや辛さなどをテーマにまだいくつか書けるだろうし、会社以外の働き方も模索していくことももっと書いていけるとは思うのだけれど、ひとまず「自分の求めている傾向」については振り返ることが出来た。

まだそれが仕事にはつながっていないけれども「あぁ、そうなんだな」って納得することが出来た。

 

理由2。

人生につまづいているのは自分一人じゃないし、自分よりもっと綺麗に文章をまとめてうまく表現しているブログがあった。

自分と似たような考え方や心理傾向を持っていて、やっぱり社会生活につまづいて悩んで苦しんでいる人が少なからずこの日本にはいる。

そして悩んで苦しんでいる人もいるし、そこから脱出して一人で立ち上がった人もいる。会社に戻った人もいる。

いくつかのブログを読んでいく中で、「そういう人生もある」「こういう人生もある」という知識が入ってきたので、ものすごく落ち込む必要もなさそうだなと、自分自身で思うことが出来た。

 

 

「じゃあこれからあなたの人生は大丈夫なんだね?」

そう問われると、大丈夫じゃない。

とても不安定だ。

安心して自活していけれるような収入があるわけじゃない。

どういう人生を描いていったらいいのかも分かっているわけじゃない。

ものすごく生命力が強いわけじゃない。

どちらかというとのんびりと落ち着いている。

生きてもいいし、死んでもいい。

楽しい生き方ができたらいいし、無理に楽しもうとしなくてもいい。

やる気があるときは頑張ればいいし、やる気がないときはダラダラしてもいい。

なんか、そんな感じでいい。

 

会社で働くと「やる気がないときはダラダラしていい」という許可が自分に降りなくて「過剰に頑張る」ことをしてしまうから、やっぱり会社は向いていない。

 

もうちょっといい雰囲気の、生きやすい環境を、自分で創造していかないと。

マイペースで生きていけれるようになれたらいいなっていう。

とりあえず、そんな感じで。

 

 

だから、ブログもちょっと低迷中。

 

 

 

自転車を始めた私は早速サイクリングバッグが欲しくなりました。

先日、自転車を手に入れたというような記事を書きました。

search-life-work.hatenablog.com

 

せっかく外に出て動くのならば、カメラも持って出かけたいよね!
と、思ってしまうのが私です。

 

今私が使っているカバンは片掛けのボディバッグ。

それなりのサイズ感でポケットもいくつかついているので、メインスペースには一眼レフカメラを入れて、サイドポケットに水筒を入れて、というような使い方が出来ています。

これで山登りをしています。(近所の小高い山であって、本格的ではない)

 

このいつものボディバッグを使って自転車に乗ってみたところ、自転車を漕いでいるうちに背中から徐々にずれてきて、バッグを抱っこしているみたいになっちゃって「あ、これは、漕ぎにくい!」って思っちゃったんです。

 

片掛けのボディバッグはサイクリングには不便!

ということが判明してしまった訳です。

 

そこで探しているのがサイクリング用のカバンです。
私の希望としては

  • サイドポケットがあって水筒が入れられること。
  • メインの収納部には一眼レフカメラを収納出来ること。
  • ついでに何か入ったらいいな。
  • 山登り用のバッグとしても使えたらいいな。
  • 肩に負担がかかりにくいようにリュックサックの方がいいな。
  • スポーティーな感じのデザインだったら尚いいな。

と、ちょっと欲張りな感じで挙げてみました。

 

そしてAmazonさんで探すこと3時間。
これは大きすぎる!これは小さすぎる!え?こんなタイプのもあるの!?と紆余曲折を経て大体4点くらいに絞りました。
しかし、大きいだの小さいだのは画面上の感覚と、届いてみた時の感覚とで違ってきそうなので、こういうのは届くまでが怖いですよね。

 

<第一候補

サイクリングバッグ 自転車用リュックサック 軽量コンパクト 専用レインカバー付き

 見た目も良くってカラーバリエーションもあるので、選ぶ色次第ではスポーティーに見えます。若干地味。
マチが拡張出来るというのも魅力的で、カメラを入れる時と入れない時とで使い分けが出来そうです。
専用のレインカバーが付いているというのも嬉しいですよね。
収納部もいくつかに分かれているので、用途ごとの小物で分けて仕舞っておけそうです。
でもサイドポケットはないので、水筒をサイドに入れたいという希望が叶わないです。

 

 

<第二候補

パラディニア サイクリングバッグ 超軽量 自転車バックパック

 コンパクトでスポーティーな感じです。
見た目がとても気に入りました。
しかし問題は、水筒か、カメラ、どちらかしか持っていけないような感じです。
試してみないとわからないところが大きいので何とも言えないけれど、見た目だけは好み。

 

 

<第三候補

パラディニア サイクリングバッグ 20L

 サイズはちょっと大きいような気もしますが、両サイドにポケットがあるので、これなら水筒はここにはいるし、メイン収納にもカメラを入れることとが出来そうです!

しかし20Lが大きいか?いや、これくらいが自分にベストなのか?
と迷っているところです。

 

 

<第四候補

パラディニア ハイキングバックパック サイクリングリュック 軽量18L

 雰囲気的にやっぱりちょっと大きいような気もしている18L。
だけど両サイドに水筒(ペットボトル)入れることが出来るポケットが付いているし、メインスペース的にみても用級は満たされている。

 

 

 

 

 と、このような感じで非常に難しい商品選びを頭の中で回転させています。

それでも私は1つ勉強になったことがあります。
それは「ハイドレーション」というもの。

自転車に詳しい方ならばもうご存知の方も多いのでしょうね。というか普通なのかな?
バックパック(リュック)に給水用のバッグを内蔵させて、チューブをリュックに沿うような形で前まで持ってきておいて、自転車を漕ぎながらでも給水出来るようなものらしいです。

 

さすがに私はまだ始めたばかりなのでハイドロ(ハイドラ?)までは必要ないのですが、こういうものもあるんだなって思いました。

 

 

そして、今日もちゃんと自転車に乗ることが出来ました。
え?仕事?最近閑散期なのか、ちょくちょくお休みがあります。
去年の地獄のようなブラック会社はどこへ行ったのやら・・・。
商品に波のある会社の運営って大変なのだろうな、と感じました。