なぜ空調を大切にしない会社が世の中にあるのだろうか?
ここ数日間、5月だというのに夏のような蒸し暑さの日が続いていた。
今日は晴れているが風が涼しく過ごしやすい。
そう、これが平常運転。5月らしさがある。気持ちがいい。
しかし5月だというのにこのような蒸し暑日が数日間と言えども続くのは、いささかお肌の不快指数が上がってしまう。
いや、心の不快指数が上がってしまう。
蒸し暑いというだけで仕事に対する集中力ですら下がってしまう。
空調の重要性
世の中には空調を大切にしない会社が多い。
蒸し暑い中で仕事がはかどるだろうか?「心頭を滅却すれば・・・」なんて古いことを言っていたりするのだろうか?
世は温暖化現象に飲み込まれている。
毎年のように夏が暑くなっていっている。
子供の頃は夏でも涼しい日や過ごしやすい日や時間帯によっては快適なときもあった。
それが今の時代ほとんど感じられないような気がする。
そんな蒸し暑い環境の中、仕事ができるだろうか?
いや、できない。
私が今勤めている会社では空調は重要視されている。
ここ数日の蒸し暑い日にはエアコンが稼働していた。
なんとありがたいことだろうか。
快適に仕事ができて眠くなった(冗談)。
蒸し暑さにイライラすることなく仕事が出来るというのは精神的に落ち着く。
空調を整えるのに縛りがないというのは本当に良いことだなと思った。
空調を整えるのに縛りのある会社がある
エアコンを稼働させるための独自ルールが存在している会社がある。
年配の方が管理職をされてみえたり、お局様がいらっしゃる会社で特に顕著なイメージが強い。
- 室内温度が30度を超えたらエアコンを使っていい。
- 7月に入るまではエアコンを使ってはいけない。
などのルールが存在している会社だ。
全く困ったものである。
気温が高くないとエアコンを使ってはいけないというのはナンセンスだ。
◯月に入らないとエアコンを使ってはいけないとするのはもっとナンセンスだ。
気温や気候なんていうのは毎年微妙に違っているものなのに、毎年同じ時期からしか使用を認めないなんていうのは頭が硬い。全く柔軟性がない。
気温ばかりに目を向けている会社では湿度を全く無視している。
ただ暑いだけなら乗り切れることもあるだろうけれど、体にまとわりついてくる蒸し蒸しとしたあの感じは非常に不快だ。
蒸し暑い中で仕事をしている工場作業員さんたちは本当に苦労されてみえると思う。
そんな中で作られた製品を私たちは使っているのかもしれないと思うと、頭が上がらない。
電気代は大切にするが人を大切にしていない
ある程度の規模の会社になり、人数も抱えてしまうと経営者側としては気になってしまうのが電気代だ。
フロア面積が広いほど、空調にかかるお金も大きくなる。
経費削減がスローガンのように掲げられている昨今、大切なのは人間にかかるストレスを減らすことよりも電気代だ。
エアコンを使わないに越したことはない。その分お金が浮くからね。
だけど人の心を殺しているんです。
その会社に快適さは存在していない。
人が我慢して、忍耐の上に成り立っているだけ。
苦しいですね。
かといって、むやみやたらとエアコンを使うという人も中にはいるというもの。
そういう人に対しての抑止力としてのルールは大切なのかもしれません。
人が不快に感じる気温や湿度も千差万別。
ある人は我慢できても、ある人には我慢できない。
そんなことも多々あると思います。
人数が多くなればなるほど、適正なタイミングを測ることは至難の技になってきます。
そのあたりは会社ごとにうまく決めれるといいですよね。
(それがなかなか難しいのだろうけれど。小さい会社の方が縛りがなくて楽かもしれません。)
かくいう私も自室のエアコン使用のルールを決めていた
実は私もルールを作っていた一人。
それは会社ではなく、自分の部屋で。
毎年このくらいの時期から使うから、今年もそれまでは使わない!とか、この温度を超えたら使うことにする!とか縛りを作っていました。
会社では自分の意見を言えない私なので、会社で私がルールになることはありませんが、自分の部屋では私がルールです。
真面目なので自分の部屋でもルールを決めていました。
ですがそういう生き方も苦しいなとある時から思うようになり、
「体や心が不快に感じたらエアコンを使ってもいいんだよ」
という意識改善をしていくことに決めました。
だってその方が自由だし、気持ちがいい。
無理をして我慢をして得られるものは何もない。
そこを切り詰めるほどに生活は圧迫されていない。
だったらいいじゃん?使えば?
そういうことです。
快適って幸せ。