人生につまづきながら生き方や働き方を模索していくブログ

どうにも社会人として会社に馴染めないとか、生きるのがちょっと疲れちゃってたりとか、生き方とか働き方に疑問を持ってたりとか、なんかそんな事とかそうじゃない事とかをのんびり書いていくブログ。

会社、辞めます。そう、伝えた。

ダムが崩壊したように、私の心は潰れた。

 

昨日、私は一人、黙々と難易度高めの仕事をしていた。

正直、一人ではどうしようもなく、困り果てていた。

困りながらも少しづつ進めていた。本当は助けが欲しかった。

しかし、その難易度のものに付いてこれる人がいなく、皆、逃げる人ばかり。

無言で私はスルーされる。

今回もそうなのだな。私は思った。

 

同時刻、別の人が困っていた。

その人のところには助けの手が入っていた。

納期が多少優先ではあったものの、誰でも出来る仕事だ。

 

あー、こんなにも差があるものなのか。

私は一体今まで何で頑張っていたのだろうか?

なんの為に頑張っていたのだろうか?

 

昨日の帰り際には、少しだけ気をとり直してみた瞬間もあったけれど、夜、寝れなかった。

寝付けなくて、体が震えて、火照って、動悸がして、でも力が入らなくて。

あー、この感覚。まただな。

なるべく落ち着けるように深呼吸して。

いつの間にか朝になっていた。

 

この時間なら社長、出社しているな。

と思って電話をした。

「会社、辞めます。心が折れました」

 

社長は仕事の納期のことだけ気にしていた。

出来ない分は断らなければいけないじゃないか、と。

それだけでもやってからではダメか?と。

 

私は仕事をする為の道具だった。

もう、助ける気は残っていなかった。

 

今夜、私物だけ引き取りに行って終わりにしよう。

 

もう私はこの会社に居場所はない。そう思う。

頑張った。

 

耐えた。

 

気軽に誘われた会社で幸せに仕事が出来ることを夢見ていたが、悪夢だった。

 

人間関係も複雑に絡まってアウェイ感が満載になった。

 

偽物の笑顔の中で毎日を生きている。

 

いや、また死んでいる。

 

数年前と何も変わらない。

 

会社をやめれば何にでもなれるだって!?なんでもできるだって!?

 

自分で言ってみたけれど、度胸がなくていろいろ舞い戻った感満載だ。

 

有言不実行。

 

今日は本当に身の置き場がなくて辛かった。

 

私は邪魔者だ。どこにいても。

 

 

7月の転職活動は失敗した。応募人数が多かったのと、日程の折り合いがつかず、二次面接に来てほしいと言われたものの、都合がつかなくなった。

 

8月は停滞した。自分でも何をやって過ごしていたのか覚えていない。

 

9月。

今日、一社、会社見学をしてみたいと電話を入れてみた。

完全に個人事業主の会社なので、正直、また同じことの繰り返しになるかもしれない。

電話に出てもらえるまでのコール回数が多く、見学の日程の取り決めも、なぜか私主導になっていた。ある意味おおらかだが。そんなものなのか?

 

そんな訳で、近々会社見学に向かいたいと思う。

 

真面目すぎて、笑えない人生を過ごしていると、本当に悲惨になるからやめたほうが良いよ?

おじさんからの忠告です。

 

 

 

一度教えたんだからもう出来るよね?っていう風潮をどうにかしてほしい。

f:id:search_life_work:20160316220109j:plain

仕事をしていると必ずこういう場面に遭遇します。
こういう考え方をしている人、と言い換えることもできます。
 
「一回教えたんだからもう2回目から自分でやってね?出来るでしょ?」というケースです。
 
よっぽど頭のいい人じゃない限り無理でしょ??
それか、よっぽど記憶力のいい人。
 
普通の人はそれが出来ないからメモをとったりしながら真剣に聞いて、出来ることから始めて、わからないところはもう一回、もう一回と聞き直して徐々に仕事の精度を上げていくものだと思う。
それでいいのだと思う。
 
だけれど、2回目の質問の時に「それ前に教えたじゃん?」とかいうアレはなんなのだろうか?
4、5回目くらいの「同じこと」は確かにうんざりもしてくるだろうし、忙しい時ならなおさらだ。
まだ2回目だ。
しかも全部聞いているわけではない。分かるところはちゃんと進めているのだ。
 
例えばある作業において1回教えてもらって、60%か70%は出来ていたとしよう。
残りの40%か30%を聞きに行って仕事をする。
足したら100%だ。
 
2回目、80%から90%まで出来ていたとしよう。
それだけで、もう仕事の精度は上がっているし成長も見られている。
なのにだ。「また聞きに来たの?」という態度。
もうちょっとで出来るようになるじゃん?
先輩として後輩を指導する、成長させるとはそうやって少しずつづでも精度を上げていってもらうことだと思うんだよ。
「また?」じゃないのだ。
「根気よく付き合って成長を促す」ということは大切だと思うんだ。
なぜ我慢が出来ないのだろう。
自分の仕事で精一杯なのだろうか?
ストレスが溜まりすぎていて後輩の面倒を見れないのだろうか?
だとするなら、その人は人の上に立つべきではない。
指導者に向いてない。
個人プレイで仕事をしていてくれたらそれでいいのだ。
 
 
世の中の会社人間は、1回教えたら100%のことを理解して仕事をしてくれるという「天才」や「秀才」を求めすぎている。
過剰に「出来る後輩」を求めすぎている。
世の中そんな人間ばかりじゃないし、そんな人間ばかりだったら、その先輩は自分の後輩に出し抜かれて自分の仕事すら奪われて立場なくなるよ?
会社にいられるのはせいぜい10年くらいで、その後は自分の居場所がなくなってしまうよ?
 
 
心に余裕のない社会人が多すぎる。
みんな自分のことで手一杯。
他人には皮肉や愚痴や罵詈雑言。
それが今の日本社会だ。
 
やさしい世界にはなかなか遭遇しない。
 
 
 
 

友達と一緒にいても自分が見下されているような感覚に陥る時がある

きっと自分の中で「自分はこう思われているのだろうな」という勝手な解釈が働いて、小さな相手の表情や言動を全てそこに繋げてしまうから、自分で自分を不幸に陥れている。

 

 

 

独りでもいいじゃないか。

 

嫌われていたっていいじゃないか。

 

 

でもなんか色々悔しい。

 

自分の力の無さが悔しい。

 

愛想で評価されている自分が悔しい。

 

それ以上になりたいのにそこまでの人には成れないよね?って言われているみたいで悔しい。

 

自分で分かっているけれども、他人に言われたとしても、現実に受け入れるしかないのだけれども、自分の程度を知ってしまうのが悔しい。

 

私の程度とは。

 

 

くそったれだ。

 

 

 

 

独身の実家暮らしだからと言って休日に暇をしている訳ではないのだよ。

今週も充実?した日曜日でした。

午前中は家の食料品の買い出しの付き添い。

午後からは家庭菜園(といえどもちょっと広い)で作っていたジャガイモの収穫と、一部で伸び放題になっていた雑草の刈り取り。

 

身体をよく動かした日曜日でした。

 

ちょっとは体力づくりになったことでしょう。

歯も治ったのでご飯が進みます。

 

さらに別のところの草刈りも頼まれているのだけれどもさすがにその体力は残ってはいませんでした。

 

休みの日は家でゴロゴロ。

確かにそういう日もあったりもするけれども、いつもそういう訳じゃないんですよ。

 

どうでもいいけど、Tバックの気持ちいい季節になってきましたね。