人生につまづきながら生き方や働き方を模索していくブログ

どうにも社会人として会社に馴染めないとか、生きるのがちょっと疲れちゃってたりとか、生き方とか働き方に疑問を持ってたりとか、なんかそんな事とかそうじゃない事とかをのんびり書いていくブログ。

for men's T-back blog

あぁ、今日は贅沢な一日だった。

今日は本当に贅沢な時間を過ごさせて頂いた。
私は今日幸せだった。

 

 

今日は友人のお仕事のヘルプで一日お手伝いに出向いた。
今回が2回目のお手伝いだ。
やることは前回と同じなので要領は得ているのだけれども、いかんせん接客業。
非常に神経を使い胃が痛くなるやつだ。

しかもここ2,3日、私のバイオリズムはどん底で闇の世界の住人だった。
昨夜もなかなか寝付けなくて、やっと寝れたのは深夜2時半くらいだった。
緊張していたこともあるだろう。
そしてそういう時に限って悪夢にうなされるのだ。

それでもなんとか6時に起床し、身支度を整える。
迎えの時間になり、友人含むチームメンバーに拾われて目的地に向かう。

車中、緊張で苦しかった。
何せコミュ障の私が接客をするのだ。テンション上げて行かないといけない。
しかし上がらないテンション。起こる片頭痛
やめてほしい。

イベント会場に着き設営、そして会場。
お客さんを前にして声を出してみる。
うん、大丈夫だ、声、出てるな。

口が回ればテンションは後から付いてくる。頭も回転し始める。
説明したりお手伝いをしたり、大忙しだ。
本当に時間が経つのを忘れてしまっていた。
気が付いたら終了時刻、と正にそんな感じだった。

何もかもがスムースに滞りなく流れていた。
おかげさまで完売だった。
お客さんも気さくで優しい方ばかりで、何一つ文句を言われることもなく、雑談をしたりしながら笑顔で対応することができ。

 

こういう経験は私の人生の中では数少ないので本当に貴重な体験をさせて頂いた。
その上、昼食付きでアルバイト代も出して頂き、夜はお酒の席を設けて頂き。マイナスなネタが1つもないというとても贅沢な一日だった。

あ、マイナスなネタは朝の胃痛か(笑
でもそれを上回る得るものが体感出来たので、今日の締めくくりとしては全く問題がない。
素晴らしい一日と言えよう。

そしてたまにはこんな日記があってもいいだろうと、自分に言い聞かせるのである。

 

 

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日産の121万台リコールの話をニュースで見て思ったこと。どこの会社も同じだ。

タイトルに答えを載せた。

「どこの会社も同じだ。」である。

100%どこの会社でもか?と聞かれると違うと思う。調査していないからね。
しかし、少なからず小さな町工場で働いていた私も同様のことを経験したし、それをさせた上司も元々勤めていた会社で同様の体験をしていたようだ。

つまり悪しき習慣は連鎖するし、いい加減な人間がいればどこでも起こりうる話だということだ。

 

ニュースを知らない方のために、ざっとおさらいしておこうと思う。
日産自動車が2014年10月から2017年9月の間に国内向けに製造販売したほぼ全ての車に対しリコールするという話だ。その台数がざっと121万台ほど。
なぜそうなったかというと、製造・出荷の工程で検査員が正規の検査員ではなく、無資格者の検査員が作業を行い、正規の検査員の印鑑を使用して製品を通していたという話だ。そしてそれが常態化していたと。

 

つまり、ハンコだけ誰でも使える状態にあって、誰でも検査できて、誰でも出荷できた。と、簡単に言ってしまえばこういうことだ。

 

これを聞いて、「あー、うちの会社でもこういうことあったなぁ。」としみじみ思った。もうその会社は先月辞めたので「前の会社でも」というべきなのだけれども。

 

私が勤めていたのは小さな町工場だ。
そんな会社でも「みなし検査」が行われていた。特に社長が率先してそれをやっていた。

それが発生するのは「忙しい時・人がいない時・時間が無い時」など、なんらかの理由はあったのだけれども、「やったことにする」ために、誰かの「ハンコ」を借りて打っていた。

本当に信用出来ない社長である。そういうところも嫌いなところの1つだった。

ある日、とある作業者の作ったものを私が作ったとするために「ハンコを貸してくれ」と言ってきた。問題が発生したら私の責任である。私の責任にするならば私はその仕事を検査しなければならない。しかし、私にはそれをする時間がない。私も忙しいのだ。

なので、私は社長に「ハンコは貸せません」と言って跳ね返した。時には不機嫌な態度をもってして跳ね返した。
社長自身も自分のハンコは押したくないようで渋っていた。
しかも社長自身は自分が正しいと言わんばかりに私に怒りを向けてきたし、悪態をついてきた。

そんなやり取りが何度もあった。「ハンコを押しておけば仕事が回る。どこの会社もそういうもんだ。」それが社長の言い分だった。

 

「どこの会社でも」は呪文だ。その行いを正当化するための。
赤信号はみんなで渡ってしまうものなのだ。

そんな会社が世の中には多い。絶対に多い。
だって、人間っていい加減な生き物でしょ?どれだけルールを作っても守らないでしょ?ロボットじゃないからね。
いい加減さが良い方に傾けばいいけれども、悪い方に傾くことだってたくさんある。

そして悪い方に傾いた習慣を権力や力も使いながら正当化してくる。
「普通は」逆らえないと思う。特に会社の規模が大きければ大きいほど逆らえないはずだ。

 

たまたま今回は日産の件が明るみに出たけれども、他の会社も抜き打ち検査してみたらいいと思う。
きっとたくさん出てくるはずだ。
そしてそういう会社はそろってこういう。
「仕事が回らない」と。「損失がでる」と。

 

きっと根本的なものの考え方の問題がそこに隠れている。
そしてそれを今の日本で正そうとすると、経済が回らなくなる可能性は高い。
その負担が長時間労働に回ってきて・・・人が死ぬね。

 

なんかいい方法ないんかねぇ。

 

 

自分のために用意された仕事じゃないだろうか?と感じた時。

先日のエントリーを覚えていらっしゃるだろうか。

search-life-work.hatenablog.com

 履歴書のテンプレートまでを作るのは楽しいけれども、それを見ながら複製を作って行くのが苦手だとボヤいていた記事だ。

 

そこの本文でも少しだけ触れていたのだけれど「イラストやデザインを扱っている会社でなかなか興味の惹かれる会社を見つけてしまった。」というような一文を書いた。

 

本当にその仕事の内容が「まだ実際には自分がやったことのないジャンルだけれど自分が出来る仕事」だと感じたし、「自分がやってみたいと感じていた仕事」であったことは間違いなかった。

その上、契約が私の求めているパート労働で希望の時間帯で働かせてもらえるならば言うことは無い。

正に「自分のために用意された仕事じゃないのか!?」というくらいの思い上がり様で、ある種の興奮を覚えた。

 

履歴書や職務経歴書を用意した。
さらにこれまで作成した作品なども数点、資料として用意した。
だけれど何か足りない。
そうか、これからやりたいと感じている仕事に沿うような作品が無いのか。

想像からの範疇は出なかったけれども、今できる(作れる)作品を1つ仕上げてそれも持参することにした。

 

先週。
私は面接に挑んだ。

多少は緊張したけれども、それほど大きく緊張することは無かった。
何せ今月3社目の面接だったので上手く力が抜けていたのかもしれない。

 

面接は談笑も交えながら上手く終わったと感じた。
これなら即戦力として行けそうですねというお墨付き?建前?も頂けた。
私としては受かりたい。しかし他にも数名面接に受けにみえた方もいらっしゃるとのこと。

 

ビビりながら結果を待ったこと数日。

 

私は無事に採用されることになった。
行きたいと思った会社に見事に勝ち残れた。
経験してみたいと思った仕事に就けるってこんなに嬉しいことだったっけ??
仕事に対する高揚感。
これが未来への期待というものか??

 

いや、ここで浮かれすぎると「こんなはずでは・・・」現象が起きてしまうので中間に戻ろう。
喜びは体験した。もう一回真ん中に戻ってニュートラルにこれからを考えよう。

 

実際働き始めるのは10月の半ばくらいになると思うのでしばらく間が空くんだけれども、仕事に行ける日を楽しみに待っていたいと思う。

 

「仕事が楽しみ。」
そんなセリフが自分の口から出てくる日が来るなんて、思ってもみない体験をしている。

 

これで仕事が始まってから「あれ?なんか違うんだけれど?」ってパターンになったら笑い話にでもしてみようか。

 

 

 

だからあれほど見せてはダメだと言ったのに。

私の悪い癖がある。

自分で描いたイラストをどうしても友達に見せてしまうという癖だ。

こういう行為は若い頃なら許されるのであろう。

だけれど、どうやらある一定の年齢を過ぎると反応が細分化される。

  • 受け入れて納得したり褒めてくれるケース
  • いちいち反応するのがめんどくさいなと思いながらうわべで褒めるケース
  • 反応したくなくて無関心なケース
  • 突っかかってくるケース

大きくはこの4パターンに分かれるみたいだ。

自分で悪い癖だと分かりながらも見せてしまうのは

  • 認証欲求が強いこと(褒めてもらいたい、自分のやっていることを知ってほしいなど)
  • 見せることで何かその先に繋がるといいなと期待をしてしまうこと

の、2つが挙げられる。

 

そして懲りずに私は私のイラストを受け入れてくれない友人に対して「最近こんなの描いたよ」と見せてしまう。
「いちいち反応を求められるのがめんどくさい」とか「かまってちゃんだ」などと思われてしまうことだろう。

今回は私の絵の描き方や練習方法などに突っ込まれた。
なんでそうなの?そこは違うでしょ!というような感じだ。

元々美術の手ほどきを受けている友人なのでそういう会話が出てくるのもわかるし、自分自身は独学で、自分が楽しむ気持ちを持ちがながら、なるべく苦しく無いように描いているのでどうしてもルールや価値観にズレがでる。

私は苦しくなると描くのを止めてしまうので、止めずに続けられる方法を取っているのだ。苦しくても描ける人はその方法で良いのだろうけれど、人によって手段や方法は違ってて良いと思う。

 

こういう方法もあるよという感じで諭してくれるのなら私も受け入れられたかもしれ無いが、完全に真っ向から対立されてしまったので、「この感じは”また”だな」と思った。受け入れてもらえない人に見せることは良い方に解釈できれば正解なのだけれど、悪い方に解釈してしまうと、方法論や自分の好きなことや人格が否定されたみたいに感じてしまってものすごく落ち込む。

だからあれほどこの友人には自分の絵は見せてはいけないと誓っていたのに、また見せてしまった。私の愚行だ。
何度、自分で自分を追い込むのか。

 

 

前提として万人受けする絵画やイラストなど無いのだから、受け入れてくれる人もいれば、受け入れることが出来ない人もいて当然といえば当然だ。
しかも、うまい下手に関わらず、どのレベルの段階の描き手に対しても、受け入れる人もいればアンチもいる。
そういう世界なのだ。

しかし見せることをしないということは一人の世界の完全な趣味である。
それで留めておけばいいんじゃないの?と冷めた人は言う。
趣味なんだから一人で勝手にやっていれば良いんだから、わざわざ言いに来ないで!っていう感じで。

ものすごく冷酷な感じだ。
そこに人とのつながりが生まれないし、一人で生きているようなものだ。

人はやはり自分の好きだと感じているものは誰かと共有したいし、一緒に喜んでほしいとか思ってしまうものだ。
そういう人を探すために「見せる」という行いはしてしまうものだと思う。
行き過ぎた「見せる」行為はめんどくさがられるけれど、その程度も人によってまちまちで全然わからない。

 

一体どうやって自分の絵を広めれば良いのだろうか。

SNSも使っているけれども、反応はほとんど無い。
本当に世界の片隅だ。

イラスト用のブログもアクセスが落ち込んでいる。
やはり自分のイラストに需要がないのだろうか?

 

かといえば、自分のイラストを気に入ってくれた人もいて、その方の紹介でまた1つお仕事を頂けた。
ありがたい話である。

 

私は一体どこへどういうポジショニングをして向かっていけば良いのだろうか?

「本当に絵が好きならどれだけでも描ける」はある意味正解だろう。
その理論に当てはめるなら、私は絵が嫌いだ。

しかし「そこそこ絵を描くのが好きなので、描きたい気持ちがあったり燻っている」感じなので、私は絵が好きだ。とも言える。

 

「好き」の次元や程度も人の数だけあって良いのだと思う。
それを否定してしまったら本当に好きな人以外の人は「なんで描いているの?」という哲学じみた世界に陥って、嫌いになる人続出か、描いてはダメな人だよ!という宣告を受ける話になる。

 

私は自分のイラストが画家とか絵師とかそういうレベルになれないだろうということは自分で分かっている。
いや、自分のテイストが確率出来ればなれるのかもしれない。

が、そこに至るまでの何かが欠落しているし、不安定な中で描いているので、芯が出来上がっていない。

今まで他人の評価ばかりを気にして生きてきたことにも1つは起因しているかもしれない。下手だねなんて言われたら、もう描きたくなくなってしまうものである。

 

最終的には何が言いたいのかというと、

自分以外の誰かが何と言おうとも「自分のやりたいことをできる方法で進めているのならばそれを曲げてはいけない」ということだ。

もしその違う誰かの意見が良い意見で取り入れた方が良いと思うなら入れれば良いし、気に入らないならやらなければいいだけの話。

取り入れて苦しくなってしまう様では、それは心が違うと言っている。

 

一言で絵やイラストなんて言ってしまうことは出来るけれども、ジャンルもタッチも幅広い訳で、好きな絵もあれば嫌いな絵もある訳で、勉強した人もいればしていない人もいる訳で。そこにはいろんな生き方が入っている。全員同じ学び方をしてきた訳じゃ無いんだよ。

 

そう自分に言い聞かせて、自分が楽しく絵が描ける最善で、今の精一杯をしながら間違ったり変化させたりして進んでいこうと思う。

まだ、私は描ける。

 

 

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過労死レベルで働かないといけない会社って世の中に多いんだろうなとひしひしと感じる

知られていないだけで、みんな黙って言いなりになって働いているだけなんじゃないだろうか。

結構たくさんの会社で起こっている事実なのに、明るみに出ていないことが多いのではないだろうか?

なんでみんなそんなに頑張っちゃうんだろうか。

なんのためにそんなに頑張っちゃうんだろうか。

お客さんに頼まれたから断れない?

短納期だけれど、この仕事をしないとまた仕事がもらえなくなるから怖い?

 

 

私自身は過労死レベルで働いたことはない。

去年の秋、20連勤した時でも、それ自体は初体験だったけれども徹夜はしたことはなかった。遅くても夜の9時とか10時で、基本的には7時くらいには帰っていた気がする。

しかしそれでも私にとっては精神を脅かすほどの問題だったし、そもそもパート契約の9時〜16時だったのだから、完全に契約違反だ。

そんな事実はもみ消されたけれども。

 

そうやって負の感情で働いているので、ストレスや怒りを感じてくる。

この社長ぶっ殺してやんぜ!!!って何度思ったことだろうか。

そう、精神が脅かされると殺したいと思うくらいに憎い存在が出来上がるのだ。

 

私は「私が定める自分を健全に保っていられる労働時間」というものを把握しているつもりだ。

しかし、会社に入ってしまうとそういうものは完全に無視される。

関係ないのだ。そんな個人のことなど。

だから会社は社員に無理をさせるし、社員も「せっかく入った会社だから」とか「食べていくためには理不尽は我慢しないといけない」と呪文のように自分に言い聞かせて従ってしまうのだ。

 

それで働ける人ならいい。

だけれど、会社としての成り立ちは「同じルールで働ける人」が必要だということ。

そこに万人が合うかと言われると、合わない。

だから自分に合う会社を探し求めて転職するのだろうし、独立する人だって出てくるのだ。

誰かの作ったルールの中で働くというのは、とてもきついものなのだ。

 

最近2人の男性と、個々で話すことがあった。

そしてその2人ともが、全然違う会社で、全然違う業種だったのにも関わらず「昔徹夜したことあってねぇー」だった。

それも1回や2回の徹夜ではなく、忙しい時は定期的に訪れるような感じのものだった。

片方の方は「過労死ラインを超えて働いていた」と話していた。

今はもう2人ともその会社からは離れているけれども、聞いているだけで「そんな会社で働きたくない」と思った。

そこまでして突き動かすものはなんなのだろうか。

「周りがやっているから自分も」というのもあるのかもしれない。

もちろん「仕事が終わらないから」というのもあるだろう。

 

この社会の仕組み全体の何かが本当におかしい。

異常なのに通常のことのように行われているこの感じ。

一時期電通の過労死が取り沙汰されたけれども、電通だけが吊るし上げられたけれども、もっとたくさんの会社がそうなのだろう。

 

ちょっとね、そういう会社はね、一度潰れた方がいいと思うんですよ。

「潰れたら食べていけなくなる」とかじゃなくてね。

そういう精神も一旦捨ててもらってさ。

古い考えの人たちにはもう引退してもらってさ。

「働きたくない」とか「働いたら負け」という世代がさ、「ウチの会社ではこの時間帯のみの活動になります。それ以外の仕事はお受けできませんので、他の会社にお願い致します」スタンスでさ。

あちこちの会社で「それはよその会社で」「うちでやれる分だけは引き受けます」というような仕事をうまく分け合えるような会社が増えれば残業も減るんじゃないだろうか?

そうなってくると会社ごとの技術レベルの格差も減らさないと結局は一極集中に舞い戻ってしまうんだろうけれども。

 

まぁ自分の想像は全然、現実味のない理想論にも届かないような想像ではあるんだけれども、自分で自分の首を締めている会社が多すぎるというか。

 

そんなにみんな働きたいの??

(無駄に残業時間稼いで遊んでいる人は置いといて)

 

断ったら仕事が入ってこないってなっちゃうくらいの低いブランド力な会社ばっかりなわけ?

競合他社が多いから断ったら仕事持って行かれる?それは「ぜひあなたの会社でやってほしい」ってなっていないからだよね?

 

なんか、弱いよね。

 

一番強いのはさ、特に納期とか決め事なくてさ、自分の仕事のできるペースで仕事をしてさ「やり終わった日が納期」になる仕事だよね。

しかもそれで食べていけるブランド力があるということ。

もちろん怠けてダラダラ仕事しているわけじゃなくて、自分の定めるマイペースな労働時間はきっちり仕事をして「ちゃんとしたもの」を作り上げる必要性だってある。

適当にやって適当に作ってアラが目立つ商品なんて欲しくないからさ。

 

あぁ、仕事を成立させるのって難しいねぇ。

 

 

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