人生につまづきながら生き方や働き方を模索していくブログ

どうにも社会人として会社に馴染めないとか、生きるのがちょっと疲れちゃってたりとか、生き方とか働き方に疑問を持ってたりとか、なんかそんな事とかそうじゃない事とかをのんびり書いていくブログ。

LogicoolのG300sというマウスを買いました

そろそろマウスを変えなければならない。
そう感じていました。

何故ならば。

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これはマウスのケーブルです。
ご覧のように被覆が剥がれて中の細線が見えてしまっています。
マウス本体もかなり年季が入ってしまっていてお見せできるような代物ではございません。

無線のマウスならケーブル劣化を気にしなくて良いのですが、無線マウスの突然のバッテリー切れは非常に嫌いなので有線マウスをこよなく愛しております。

 

さて、私のささやかな楽しみはこういったパソコン関係のお買い物。
「次はどんなものを買おうかな?」と色々見るのが結構楽しいのです。
さらに光り物が好きな私。
光り物と言っても魚のことではありません。
パーツが光っちゃう物のことです。

かつて私が自作PCで楽しんでいた頃、光るファンなどを組み込んで楽しんでいたのも良い思い出です。

もういい大人なんだし、地味目のマウスを長年使っていたのですが、何を思ったのか今回は光り物に手を出しました。
いや、かっこよく見えたのですよ。
ロボットとかメカ好き男子にはよくありそうでしょ?

それでもギラギラ光るものは遠慮しました。
ささやかにオシャレに光る感じのものにしました。

 

それがこちら。

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なんかマウスの後ろから火花が散ってますね。
レーシングマシンのイメージですね。分かります。
きっと世の女性たちは「アホらしい」と、ひややかな称賛を送ってくることでしょう。

 

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取り出してみるとこんな感じです。
マットブラックな部分と光沢ブラックな部分でいい感じの模様になっています。
デザイン的にも手にフィットするようになっていて好感が持てます。
しかし、残念なことに私の手のひらのサイズが平均男性のそれよりも小さめだと思うので、若干手に余る感じもあります。惜しい。

 

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ゲーミングマウスというだけあってボタンも多めに付いています。
私、ゲームしないんですがね。
でも人差し指外側に付いている「戻る」「進む」ボタンは最低でも欲しいと思っている人なので、それがあるのは必須です。
中指側にある外側2つのボタンにはコピペ系のショートカットにしておきました。
マウスのドライバをLogicoolのサイトからダウンロードすれば、ボタンに何の操作を付加させるのか設定出来るようになるので便利です。

 

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裏面はこんな感じです。
ブルーのプラスチックですね。
シリアルナンバーのあたりはシャーペンで隠してあります。

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そしてこれが光るところ!!
写真だと綺麗じゃない・・・。
お好みで7色の色のどれかを指定できます。
気分によって色を変えて楽しんだりとかも出来ます。

本当はモード変更の目印なのだろうけれど、詳しくは割愛。

 

 

新しいマウスを手に入れた私は、少々浮かれた気分でパソコンに向かっております。
今まで使っていたマウスもサイズ感が自分の手にフィットする絶妙な感じだったので、光り物に飽きたらまた買い直すかもしれません。

 

今回購入したもの

 

 これまで使っていたもの(これのブラック)

サンワサプライ 有線ハイパーLEDマウス レッド MA-125HR
 

 

いきなり正論を突かれてやる気を削がれた話

お盆休み中友人と食事をした。

友人は最近楽しい出来事があったらしく、私は聞き役に徹していた。
仕事も趣味も充実しているようだった。

彼は話し始めると一方的になるので、私は相槌を入れながら聞いていた。
私自身が人に話したいと思うようなネタを持っていないので聞いていること自体は苦ではない。

 

友人の趣味の話がひと段落し、少々間ができたので何か話が広がるか?
と、一石投じる意味を込めて発言してみた。

 

「最近趣味という趣味がほとんどなくてさ、また久々にカメラでも初めて見ようかと思ったりしている。」と。

 

「何か撮りたいものでもあるの?カメラやっている人ってさ、撮りたいものありきで活動しているじゃんね。好きなもの、例えば電車とか、旅とか、人とか、そういう対象が先にあってカメラで撮るわけじゃんね。カメラが好き・・・というかカメラで何かを撮ることが好きなだけで、その好きはあるの?」

と、半ば語気強めで説教じみた感じで言われた。

軽い気持ちで会話が続けば良いかと思ってした発言に対して、ど直球の正論をストライクゾーンに豪速球で突っ込まれた。

なぜ私が叱られなければならないのかと若干イライラした。

確かに正論なのだ。
カメラは道具でしかない。
撮りたいもの、残したいもの、それにたいする情熱があってカメラが生きる。
撮ることが楽しくなる。
そういうものなのだ。

 

かつて私がカメラにハマっている頃は楽しかった。
どうやって撮ろう?どの角度から撮ろう?どういう色合いに仕上げよう?
とかいろいろ考えながら綺麗に残すことが楽しかった。
出かけ先で景色を残すことも楽しかった。
なんらかの情熱がそこにはあった。

今の私はどうかというと、正直そこまでの情熱はない。
記録としての写真が取れれば十分なので基本的にはスマホで十分だし、どこか観光地へ行く時にカメアをもって出かけるという程度で十分なのだ。

そう、そこまで今カメラに対しての情熱はない。
撮りたいものがない。感情を揺さぶられるものがない。
これ楽しいじゃん!ってならない。

なんで「またやってみようかな?」という発言をしたかというと、ハマっていた時のような感情を体験してみたいからだった。
また始めたら何か感じるものはあるのかな?と。
ちょっと新しい機材を買ってみたら気分も変わって楽しめないかな?と。
その程度の軽い気持ちだった。

 

趣味としてのカメラなのだから、そのくらいの軽い気持ちで始めるパターンもあって良いのだと思う。
本人が楽しめるのならばスタートがどういう状態かなんて関係のないことだろう。

しかし「情熱」的なものを引き合いに出されると、私には存在していないのでやる気なんていうものは一気になくなる。
正直、カメラを手にしようかなという今の気分は消えた。
どうでもいいわ、もう。

 

 

それにしても、話のネタで軽い気持ちで「ちょっとやってみようなか?」と持ち出した程度なのに、それすらも真面目に、「こうあるべきだ」「こうするべきだ」のような返事が帰ってくる友人しか、私にはいないのだろうか?

語気も強目で若干説教じみた感じで言われたのが本当に嫌だった。
私はそんなに目に付くか?鼻に付くか?気に入らないか?

イラストのことをテーマにして会話した時も然り。
写真のことをテーマにして会話した時も然り。
これでは私は私のことを何も話せなくなってしまう。

私の不遇さを話すか?楽しくないだろう?話す必要もないだろう。
それはブログだけで十分だ。

 

徐々に友達が友達では無くなっていくように感じる。
これが「友達が減っていき、最後には自分しか残らない」現象なのだろうか。
向こうはまだ友達だと思っているのだろうか?
もう誰とも会いたく無くなっていく。

そもそも私の周りの友達というのは厳しい意見を言う感じの人々しかいなかったのだっけ?
いや、そういう人たちが残ったのか?
私自身が厳しい人間だからだろうか?

 

もうちょっと息を抜いた感じで気楽に生きていくことすら許されないのだろうか?
「やんわりと」をテーマに生きようとすると「縛り」を求められているような。
そんな感覚に陥る。

 

いや、まぁ、周りの人の言うことなんか気にせずやってしまえばいいのかもしれないのだけれど。
今回はだめだ。もうやる気でない。
またしばらく私のカメラは埃まみれになっていることだろう。 

 

 

35歳で独身なら1000万円くらいは普通は貯金しているはずやしな、と母にボソッとつぶやかれるのが辛い。

私も他人と自分をよく比較してしまうのだけれど、それは母親譲りなのかもしれない。

給料やボーナスの話題がテレビなどで出てくるようになると、
「誰々さんちの子は○○(給料の良い会社名)へ行っているみたいだよ」
とか
「おまえも○○(会社)へ行ったみたらどうだ?」
と、進めてくることがある。

冗談で行っているのか本気で言っているのかは分からないが、お金のことはそうとう気にしている。羨ましいのだろう。

父があまりまともに働けなかった人なので、余計にお金に固執をしている。
そして母自身が自分が不幸だと思っている。それは母の生い立ちにも深く影響がある。

きっと私にも「まともに働いて家計を助けてほしい」と思っているはずだ。
いや、思っている。

が、そこまで強く面と向かっては言ってこない。
私の抱えている事情も見てきているからだろう。

 

私の闇も根深いが、母の闇もそうとう根深い。 

 

母のそういう小さなつぶやきが私を時々苦しめる。

深い意味は無いのかもしれない。

真意まではわからないけれど。

私にとっては「お前は稼げてないからな」と言われているみたいでつらい。

そしてイライラしてくる。どうせ私は不出来なのだから仕方が無い。

自分に対してそういう言葉が出てくる。

私が考え過ぎなだけか。

あぁ、またか。

 

この先の思考は、止めておこう。

まずは、明日からの目先の仕事を頑張れば良い。
そうしよう。

 

激しく部下を叱責する上司のもとで働くことは不幸だと思う

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これは前職で見てきたお話。

 

人間だもの。
仕事でミスをした部下を責めたり叱ったり怒鳴ったりしたくなってしまうことはあると思う。
でもね。
感情をストレートに表現してただただ従業員に対して怒ったり怒鳴ったり嫌味を言ったり。
それじゃあ従業員は反省するを通り越して「もう会社に行きたくない」となってしまうと思うんだよ。


「ただ仕事さえしてくれていれば、他は別にかまわない」その人のいないところでそう言っていたのを聞いた。
きっとその上司は裏切ることも裏切られることも経験してきたのだろう。
経験上ひどい仕打ちをされたことがたくさんあったのだろう。
だからなのだろうか。 人を信用していないような発言をたくさんする。


「また間違えやがったのか」
「人のミスは俺はカバーしたくない」
「何回同じような間違いをすれば気がすむのか」
という発言が出る。
怒鳴る。嫌味を言う。
わりと日常的に険悪な空気が会社の中を流れていた。
会社の空気が乱れていた。

そういうことを率先して社長がやっていた。
そう、その上司というのは会社のトップである社長。
社長だから威張っていていい。とでも言うのだろうか?

怒鳴ったり嫌味を言うことでミスが減るのなら簡単だ。
本人が真面目にやってなかったわけではない。
真面目にやっているけれどもミスも出てしまうという感じだった。
もっと理論的な対策を取らなければならなかったはずだ。

怒鳴られて、嫌味を言われて。
それで泣いてしまった従業員もいる。
本人もミスをしてしまったことは悔しいのだ。
それをあえて追い討ちを掛けるようにまくし立てる。
反省しないタイプの人になら言うことは言わなければならない。
しかし自分で反省する&落ち込むタイプの人をさらに責め立てたらどうなるかくらい想像付くだろう。
いや、その上司は想像できないからそういうことを言ったのか。
想像よりも先に感情が優先されたから言ったのか。


ミスをしてしまったことに対しての原因と対策を立てることは大事なのでもちろんそれはやるのだけれど、伝え方や叱り方というのが感情的になりすぎていた。

また、友人の働く土木会社では殴るという行為による叱責もあったとうケースを聞いた。 完全にアウトだ。 そんな会社で働く従業員は不幸だし、とっとと辞めてしまった方がいい。

日本にある会社で、体育会系や職人気質の会社というものはどうしても激しい口調での叱責や体罰での叱責というものが風習として残っているような気がしてならない。
そしてこれはしばらくの間なくならないだろうと思う。

 

逆に私は叱るこができない。 どうしてもミスを優しく伝えるだけになってしまうので、緊張感が足りなくて舐められてしまっている感じもある。
しかし自分も人間だから間違えることがある。
そういうときに周りに助けを求めなければならないときだってある。
普段から怒鳴ったりしている人が間違えたとき 「自分だって間違えてるのに、何を偉そうに言っているんだ!」 「誰が助けてやるもんか」 「(助けてはくれるけれど)内心見下されてしまう。 」といったようなことになる。
逆に普段からお互いのミスがカバーしあえるような人間関係が出来ていれば、お互い気持ちよく仕事が出来る。 ような気がする。
責め合ったりすることも少なくなるだろうと思う。
そういうことを考えると、優しく伝えた方がいいなと思うところもあって、私は人を叱ることが苦手だ。単純に嫌われることを恐れているだけという面もあるけれど。

「叱るときには叱れる上司」というのも存在としては大切だけれど。 なんにせよ「叱り方」というのは難しいものだと感じた。

そして暴力的で攻撃的な上司を持つ部下は不幸だなと思った。

 

(記事作成:2017.02 記事調整:2018/08)

 

 

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隣の席から早い作業の音が聞こえると、焦って気が気ではない。

作業の音。 早い作業の音。
仕事のペースが早い人は、音を聞いていると分かります。
音が小さくても早い人もいるので、絶対ではないのですが、気持ちのいい早い音というのはあります。
「速さと正確さが命」と、もてはやされる仕事の現場。
そういう仕事の中ではそれができる人は重宝されます。
そして自分には出せない音でもあります。
早い仕事が出来ない人間だということは自分で理解しています。

過去記事でも少々触れたことがあります。

search-life-work.hatenablog.com

 

同じ仕事をしているのでなければ、軽快な早い仕事の音は心地のよいものなのだろうと思います。
しかし、同じ現場の同じ仕事をしているところから軽快な音が聞こえて来ると焦りと恐怖を感じてしまいます。
私は仕事が遅いと自分で信じ込んでいるからです。
コンプレックスを持っているからです。

実際のところ、ものすごく遅いわけではないでしょうし、仕事に対する理解もそれなりに出来ているはずだと思っています。
スピードが遅い!と、注意されることも叱られることもありませんでした。
それでも早い仕事の音を聞くのが怖いのです。
コンプレックスから来る「劣等感」がそこにあります。
自分は出来ない人間だという思い込み。
そしてそれが正しいのだという思い込み。
数ある会社の中では一番早く仕事が出来る人のペースが基準になる現場も多々あります。
それ以外の人は「見習ってそこを目指してね」となります。
辛い職場です。
目標を掲げるのはいいことですが、到達出来ない人にとっては何年たってもクリアできない目標です。やる気を失うことにも繋がります。
不毛でしかありません。
そして私は、追いつかれ、追い越されると戦意喪失します。
「ほらね?やっぱり。」って。

これは自分と他人を比較してしまうことで起きる現象です。
まわりが仕事が早いと、自分は出来ない人だと感じてしまうことにより起きる現象です。
結果的に焦ることになって、判断力が鈍りミスを誘発します。
人間のタイプが違うのでどうしようもないことなのですけれどね。
個人レベルの競争社会の「悪」の部分だと思っています。

しかし「競争させることで生産能力が上がる」という理論は根強いです。
どんなに優秀な人でも競争し続けると疲れは来ます。
競争をすることが楽しいという人も中にはいて、そういう人にとっては適度な競争は仕事への情熱に変わる部分もあることでしょう。

競争しないと張り合いがなくてサボってしまうというようなタイプの人にも、緊張感を持たせるためにはよいのかもしれません。

ですが「競争させることが万人にとって有効」かと言うと必ずしもそうではないと思うのです。
自分を擁護してしまうことにもなるのですが、私は競争が嫌いです。
競うこと自体があまり好きではありません。
自分で考え噛み砕いてアウトプットするタイプだからです。
作業も工場のような流れ作業は嫌いです。あれこそまさにスピードを求められるので、誰が早いだとか誰が遅いだとかすぐに分かります。
「同じことの繰り返しだから誰だって慣れれば早くできるはずでしょ」と、どのレベルまでの慣れを指して言っているのか分からない人もいるし、ストップウォッチで個々の速さを測る会社もあるくらいなので、出来ない人は辞めていくことになることでしょう。ロボット的な人間が求められます。

私は1つ1つの作業がミスが出ないように考えて行ってしまうので遅くなりがちです。
まわりの人の中には「何も考えずにできるから楽」という人もいました。
そうか、考えないのか。
私は1つ1つを考えるのです。
この記号の意味は?この仕組みは?この言葉の意味は?と。理解したいのです。
だから速さを求められる仕事は向かないのだと自分でわかっています。

事務作業なんかをしていてもそうです。
隣から猛スピードでキーボードを叩く音やマウスをカチカチさせる音が聞こえてくると、気が気ではなくなります。自分が焦り始めてしまいます。
別に「自分が一番できる人」でなくてもいいのに、「自分は遅い」と感じることによって「劣等感」を刺激されているのです。
この「私の思考のクセ」は分かっていてもなかなか改善できるものではないらしく、潜在意識レベルまで染み込んでしまっているのかもしれません。
正直一人で仕事がしたい。
そういうレベルです。
別に誰が早かろうが遅かろうが、会社として損失にならない程度のスピードが維持できていれば(上司から注意されるレベルでなければ)、それなりにこなせているから問題ないはずなのです。

幸いにして今の職場環境では無事なのだけれど、もし周りに作業の早い人がいる環境になると飲み込まれてストレスになることでしょう。
変えたいと何度も思ってきました。
「気にしてはいけない」と。しかし、結局変えることがでずにいます。
他者と比較をする思考のクセがある限り、ノルマやスピードを求められる職場環境に身を置くと、苦しめられることになるでしょう。

隣の席から早い音が聞こえて来ると、心が焦り、手に脂汗を握り、若干パニックになりながら仕事をすることになります。
私にとっては競争する仕事は苦痛でしかないのです。
競争社会の中で生きているのに、競争社会では生きられないのです。
人間の性質が違うのです。
極端な話、会社として求められるのは仕事が早くて正確な人間。 私はいらない人間。 という短絡的とも言える思考回路も繋がってしまっているかもしれません。
私は正確さはある一定レベルで出す自信はありますが、速さを求められると人より劣ります。

一番安心するのは、ある程度の裁量でマイペースで仕事をしてもいい職場。
または、助け合える風土のある職場。
競争することに巻き込まれるとポテンシャルが落ちて逆に作業効率が悪くなることは自分自身で実証済みです。
もう1つ、少々言い方が悪くなるのですが、自分よりも作業が遅い人がいてくれるのも安心です。 そこに「保身」があるからだと思っています。
自分が全体の最後だと酷く劣等感が刺激されてパニックになります。
きっと仕事が苦痛になって辞めることになるでしょう。

 

生産性・効率化。
そればかりを求めてきた現代社会において、私と同じような現実に飲まれている人もきっといるに違いない。

 

(記事作成:2017/12/ 記事調整:2018/08)

 

 

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