好きなことをしているはずなのに心が満足していない。それって幸せを感じる基準がおかしいかも?
みなさんは「何をしていても楽しくない」と感じたことはありませんか?
私は一時期そのような感情に支配されているときがありました。
以前の会社で勤めていた時です。
本当に何をしていても楽しくありませんでした。
仕事をしていても全然楽しくありませんでした。
楽しくないばかりか辛い毎日で、辛さと悩みばかりで感情が支配されていました。
もちろんプライベートも散々でした。
散々、というよりも何も変化がなく、何もやりたくなく、無気力で、ただ寝ていたいだけでした。
好きだったことも好きではなくなってしまい、それをやる気力や意味さえも見えなくなりました。
好きなことに意味や理由を見つけようとした時点でそれは好きではないという判断に至りました。
好きなことは理由もなくやってしまうものだから。
もう自分には生きる価値などないということに至り、死にたいという言葉が毎日頭の中で再生され続けていました。
だけど死ぬこともやっぱり怖くてできなくて、心療内科に通いつつ、気休めの薬を飲んでいました。
最終的には辛さに耐えきれなくなって、仕事を辞めました。
仕事を辞めてから「自由だ!!!」って思えるようになったかというと実はそうでもありませんでした。
プライベートで遊びをすることもなかった真面目な性格が功を奏してか貯蓄だけは少しありましたので、お金にすぐに困るような状態ではありませんでしたが、無価値感に悩まされていて、結局外で働くことも、自分で仕事を作り出すことも出来ない自分がものすごく嫌いでした。
自分の口から出る言葉は「自分自身を見下すような言葉ばかり」でした。
きっと友達が離れていった原因はこれかもしれません。マイナスの発言ばかりしている人からは離れたくなるものでしょう。
めんどくさすぎますもの、たぶん。
仕事を辞めて半年くらい経った時、なんとかイラストだけは描く気力が生まれてきました。
下手だけど下手なりに続けていたイラストです。
夢だったことです。
好きだと言い聞かせていた時期もありました。
嫌いになって描かなくなった時期もありました。
でも、ちょっとまたやってみようっていう気持ちになれたことだけを大切にしました。
かつての夢に囚われているだけなのかもしれません。
でも、やってみました。
そしたらなんだかイラストだけは楽しいって思えるようになったのです。
気ままにやることにしました。
すると今度はお金が減ってきていることに気がつきます。
何かちょっとだけ働こうって。
パートで働くことにしました。
ブラックパートに遭遇してしまいました。
胃腸が悪くなることも、悩むことも、散々な目に遭うこともありながらも耐え抜き、逆にちょっと気持ちが強くなった気もします。
ですが、突然襲ってくる無価値感。
イラスト楽しめているよね?
こうやってブログを書いて「書くことや考えること」も楽しめているよね?
収入面も食いつなぐ分にはパートで稼いでいるよね?
それでも何かが心に引っかかっていて、不意に暗い感情へ押し戻されるのです。
私の心は満足していないようです。
- 長年の夢「イラストレーター」になりたい。を叶えてあげることができていないから?
- (でもこれは心に折り合いをつけて無理に目指さないようにしたはずなんだけれどな。諦めたわけでもなくて成り行き任せにした)
- 収入が周りと比べて低いから?
- 友人関係が疎遠だから?
- 幸せそうな家庭を築いている人が羨ましいから?
結局のところ、昔からの自分の悪いクセというか「人と比較検討して劣等感を自分自身に植え付けている」ということをしているのかもしれません。
「今の自分を楽しむ」ことよりも、「周りの今と、自分の今を比べて上下関係を見ている」のでしょう。
他の人より優れていたら幸せ、優れていない自分はおちこぼれ。
もしかして幸せを感じる基準がまちがっているの?
私の性格の1つに「真面目すぎる生き方・考え方」があります。
それはつまり学校教育の賜物かもしれません。
「勉強ができる人が偉い」「頭のいい人が素晴らしい」
逆に言えば「頭の悪い人は使えない」ということ。
つまり自分は頭が悪いから使えない人間であると。
頭の良さを感じた時だけ幸せを感じると。
・・・ある。
その感情。あるよ。
もうちょっと噛み砕くとあらゆる物事にたいして「できる人は必要とされる人」「できない人は要らない人」という考え方があり、その考え方を基にして「自分」を真ん中に見た時、出来る人になっているのか、出来ない人なのかという図式で比較検討をする。
やっぱり「比較」してしまっている。
比較した結果、優劣をつけて自分の立ち位置を判断している。
優れていたら嬉しい。劣っているなら自分は要らない。
仕事上でもよくありますよね?
「仕事が出来ない人は無能な人。仕事は出来る人は有能な人。」
っていう一般的なくくりが。
比較した上で自分に付ける存在価値は脆くて弱い。
どの本読んでも書いてある。
「素のままの自分のことが好きで、愛することが出来ること」が大切だと。
「そのままの自分を愛することが生きる自信につながるよ」と。
これがね。
本には簡単に書いてあるけれど本当に難しいんだよ。
比較の中で生き方や考え方を育んできた自分にとっては、このままの自分を愛することができなくて。
本当に自分自身が大っ嫌いだったりします。で、すごく悲しくなります。虚しくなります。
誰も愛してくれないのに、愛されたいって。
自分で自分のことを好きになる前に、他人から好きになってもらおうってしているんです。
自分自身を貶めている人を、どうして他人が好きになってくれるのでしょうか?
なりませんよね?
最初は優しく接してくれていても愛想をつかして離れて行ってしまいます。
そしてまたこう思ってしまうんです。嫌われたって。
悪循環。
イラストを描くのが嫌いになった理由もね。
他の人が上手くて、自分は下手だから価値がない。
そう思い続けてしまっていたから嫌いになった。
自分の絵を愛せなかった。
だからそこが夢の終わり。
だった。今は自分の絵が面白いと思えるようになったから、また始めることが出来たんだけれど。
比較検討をして自分の価値を自分で勝手につけているので、自分が劣っていると感じてしまっていれば「心が満足しない」し「楽しくない」でしょう。
まさに答えはそこにあるのかもしれません。
他人と比較することをやめよう!
と、心に決めて比べることをやめたつもりでいたとしても、長年染み付いた習慣なので無意識下で比較してしまっていて心にモヤモヤをもたらしてしまっているのです。
自分自身と意識を変える「戦い」をして、自分をもっと幸せにして愛せるようになりたいよね。
変わりたい。成長したい。
そう思う日々です。
他者比較という概念を頭の中から消去してしまう方法は何かないのだろうか。