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人生につまづきながら生き方や働き方を模索していくブログ

どうにも社会人として会社に馴染めないとか、生きるのがちょっと疲れちゃってたりとか、生き方とか働き方に疑問を持ってたりとか、なんかそんな事とかそうじゃない事とかをのんびり書いていくブログ。

劣等感や無価値感を感じる要因の1つにお金が関係していることもある

自分のこと ものの見方、考え方 お金にまつわるお話

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自分に対する劣等感や無価値感からなかなか抜け出せないかたつむりです。
こんにちは。

今回はタイトルにあげた通り自分自身に対する「劣等感」や「無価値感」を感じてしまう要因の1つとして「お金」が関係していることもあるという考察です。

 

 

 

つまりお金に囚われて生きているということ

生きていくためにはお金は切っても切り離せないのがこの世の常。
何をするにもお金が必要です(一部例外を除く)。
家族を養う立場になるのならば尚更お金が必要です。

  • 自分でお金を稼いで生きていくことが出来ている。
  • 自分の力で家族を養って行けている。

という事実は、自分に自信をもたらしてくれているというお金以外の面での精神的価値があると思います。
「俺すごいじゃん」「俺、頑張れてるやん」というやつです。


そしてそういうことが出来ていない現実を正面から見つめてしまった場合悲惨です。

  • 自分で稼げるお金はこれだけなのかと落ち込む。
  • 自分が思い描いていた収入を得ることが出来ていない現実に落ち込む。
  • 収入が少ないから彼女が出来ない・結婚も出来ないのだと悲観的になる。
  • 自分の能力をお金に変えるとこれだけのものでしか無いのか、と能力値とお金を天秤にかけて悲観的になる。

と、このように全く良いことがないのです。
完全にお金というものに囚われてしまって、悪い方向に思考を持っていくことしか出来なくなっています。
得たものを利用して善処していく考え方ではなく、得たものすら見下すかのごとくの解釈です。
さらに悪いことに、周りと比較検討を始めてしまいます。
職種や業種によって得られる金額なんて違います。
生きてきた道が違うのだから人によって収入なんて違うのなんてあたりまえ。
にもかかわらず、収入と生活の質を脳内で比較してしまって「きっと見下されている」という一般的なレッテルを貼られる前に自分で貼ってしまっている。

ここまでくると完璧な愚行です。

たとえ実際見下されていたとして、それで攻撃されてしまったのならドンパチしてしまえば良いだけの話であって(攻撃に負けるとさらに相手はつけ上がる)、何もされていないのならば自分で自分にレッテルを貼ってしまう必要なんてないはずなんです。

なのに、なぜ自分でレッテルを貼ってしまうのか。
その方が自分に対して楽だから。
自分でそう決めてしまっておけば、「あぁ、自分ってそうだよな」って必要以上に傷つかなくて良くなるんです。
完全なる自己防御のためのレッテルな訳です。


自己防御のレッテル貼りは私の思考のクセとしてあらゆるところで登場してきます。
今回のお話ではお金の件にとどめておきますが。
そしてそういうレッテルを自分自身に貼った結果・・・

「自分の価値をお金に置き換えてしか見れなくなってしまい、少ない収入が自分の価値をさらに低く見積もってしまい、今ある幸せを受け取ることが出来なくなってしまっている状態。」

に陥ってしまっているという訳です。

 

 

自分の価値とお金の価値は対等ではないと知ることが大事

これまで自分自身に対する価値の考え方を「自分の価値」と「お金の価値」を関連付けて思考してきてしまったことが最大の敗因なので、まずは「自分の価値は自分の価値」、「お金の価値はお金の価値」と別々の事象として区切って考える必要がありますよね?

そうすることによって、自分の無価値感と収入の低さを分けて考えることが出来るようになります。
「お金だけが自分の価値を決めるものではない」とするのです。

収入が少ないことは確かに心が貧しくなることに繋がりかねませんが、自分の存在レベルでの価値には無関係であると。
「そうじゃない、お金が稼げないやつは、やっぱりダメなやつだ。」と言う方は、多分「存在する価値とお金」を何らかの公式で結びつけている考え方のクセを持っているのだと思います。つまり、今の私と同じですね。
矛先を自分に向けているか他者に向けているかが違うだけです。

お金がないやつは死ねと言っていることに近いはずです。

でも、その理屈は完全におかしい。


経済が世の中を作っている社会だからこそ、そういう考え方が生まれてしまったという不幸な物語です。

「お金がなくても幸せを感じ取る能力があれば人生は楽しい」
という生き方があることを受け入れる心の土壌を作ることが大切なのだろうと思います。

 

 

もったいない生き方をしているということに気がつかなければいけない

とにかくもったいない。
もったいない生き方だった。
お金に囚われた生き方はものすごく考え方を狭くしてしまっていて、自分にも他人にも厳しい目で見てしまっている可能性が高い。
そして自分自信を貶めているので、心が冷たくなってしまっているはず。
気がつかないうちにね。

 

  • 幸せを感じ取れない
  • 辛いから笑うこともできない
  • お金ないから使えない。貯金しなきゃ。でも生活費は?って「ある程度は”ある”」のに「ほとんど”ない”」かのような錯覚を起こしてしまって非常に窮屈になる。
  • 悲壮感が出てきてイライラしてしまう。(八つ当たりには気を付けましょう♪)
  • 遊びに行くお金が無いからって引きこもるようになる


ほら、ね?
楽しくなさそうでしょ?

本当に生活苦になるくらいの収入しかないのだったら仕事を変えることも視野に入れたほうがいいかもしれ無いし、本当は収入的には生活できるレベルなのに、「お金が無い」という意識に押しつぶされてしまっているだけなのかもしれないし。
見直すきっかけや、変えていくきっかけにもなってくるので、それはチャンスかもしれない。

 

 

けれどお金から作られる自信は確かにある

されど、やっぱり「稼げてるぜ、俺!」「家族も養えている俺はカッコイイ!」なんて感じで収入があることを自信に繋げたくなることも多いと思うんです。

ここまで自分の価値とお金は関係無い!なんてこと書いておきながらも、心のどこかで「お金があること」を「自信」と結びつけてしまいたくなるということはあると思うんです。
それがお金の魔力とでも言いますか。
自尊心が満たされたり、満足感が得られたり、幸せを感じられたり。
歯止めが威張り始めちゃうんですけれどね、きっと。成金パターン(見直さ無いとそのうち失敗するやつ)。

 

もし、お金の力を自信に結びつけて考えたいのならば、お金を手にした時に自信にかえればいいのだと思う。
お金が無いのに、自信と結びつけてしまうから「お金が無い」から「自信も無い」となってしまいます。


無ければ無いで気にしない。
あったらあったで自信もある。

そんな感じでどうでしょうか?
時期尚早、はやまった考えにはストップを!

 

加えて、お金から得られる自信の割合を100%にしてしまうと、リストラにあったり倒産してしまったときにポッキリ折れてしまうので、50%以下くらいに見積もっておくのが私的にはいいのかなと感じています。

 

 

お金があろうがなかろうがとりあえず今の自分で大丈夫だと思うことから始めれば良い

まずはここからスタートですね。
お金がなくても自分は自分。
お金があっても自分は自分。
この解釈だけ間違わなければ、お金による自分の価値付けというような考え方は抑止出来るのでは無いでしょうか?

なんかよくわからないけれどマイナスオーラが漂っている感じから、なんかよくわからないけれどいい雰囲気が漂っている感じに変化できそうに感じませんか?

 


感じちゃいましょう。

 

まずは、私から。

 

 

 

 

 

 

 

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