人生につまづきながら生き方や働き方を模索していくブログ

どうにも社会人として会社に馴染めないとか、生きるのがちょっと疲れちゃってたりとか、生き方とか働き方に疑問を持ってたりとか、なんかそんな事とかそうじゃない事とかをのんびり書いていくブログ。

人の怒りを吸収してしまう体質。そして怒りを放出してしまいやすい体質。

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「怒りの無い平和な社会だったらいいのに。」
そう思うことはある。
あるけれども、それは人間が人間である限り不可能な話なのだ。

怒りっぽい人もいれば、怒りを受け流せる人もいるし、いつもイライラをまき散らして怒りっぱなしの人だっている。
仕方がないことなのだ。
唐突な他人の怒りまで収める方法を私は知らない。

 

 

不用意に怒りを向けられることもある

仕事をしていると、イライラした口調で話しかけられることがある。
仕事をしていると、自分が悪いことをしたわけではないのに自分に怒りをぶつけられることがある。

何かどこかで気に入らないことがあったのだろう。
何かどこかで腑に落ちないことがあったのだろう。
私が童顔で弱そうだから攻撃したくなるのだろうか?
私になら怒りをぶつけても大丈夫だとも思っているのだろうか?
不条理にもほどがある。

例えばある従業員を見てみよう。
外回りから帰ってきて早々、もう顔つきが違う。
非常にイライラしている顔立ちだ。そしてやっぱり口調も穏やかではない。
キツイ。
何故私がきつい口調で会話をさせられなければならないのか。
自分に余裕があるときは、なるべく相手にしないように穏やかに受け流すものの、後味は悪い。

例えばある女性従業員を見てみよう。
お互い黙々と仕事に集中していた…はずだった。
一体その間に何が起きたのかは分からないが、急にそっけない態度を取られ始める。
少し会話を投げかけてみるもしらけ顔(目を細めてチラ見)されてツンとされる。
「あれ?オレ、今日何か怒らせるようなことしたっけ?」
そして私以外の女性従業員同士になるといつものように普通に会話をしている。
意味が分からない。
不当に女性の怒りをぶつけられるのだけは本当に慣れない。
何故だ?何があった?何か私がやらかしたのか?
モヤモヤしてその後ずっと居心地が悪い時間が続く。

 

怒りを吸収しやすい体質

私の性格のひとつに他人の怒りを吸収しやすいというものがあります。
それは幼いころに「怒りとの付き合い方を覚える前に抑圧することを強制されたことが原因」だったり、「親との関係がどこかギクシャクしたままの家庭環境」がその体質を作り上げた可能性があります。
両親の夫婦喧嘩を聞いていて「うるさいな!」と言って黙ってもらった経験もあります。
バラエティ番組の喧嘩のシーンがあったとしても(脚本だったとしても)、それを見ていて自分がイライラしてしまうので、極力そういう番組は見ないようにしています。

そう、自分以外の誰かの怒りやイライラが自分のことのように伝染してきて、数秒から数分かけて増幅されて、忘れたり思い出したりして数時間続きます。
ものすごいエネルギーを消費しているのが自分でもわかります。
深呼吸してなるべくイライラしないようにと、心を整えようともしてみるのだけれども、頭の中が常にそれに囚われてしまっているので徐々に、徐々に肥大化していき不機嫌MAXになります。
酷い時には体が震えるくらいの怒りに増幅されてしまうことがあります。

それだけ私にとって「怒り」というものは体に入ってきては良くないものなのです。
自分の心に余裕がなくて受け流せない時も顕著です。

 

怒りを放出してしまいやすい体質

自分がイライラしてしまっているということは、つまり自分自身では怒りを受け流すことが出来ない状態になっています。
怒りを受け流せるということは、イライラのゲージがそこまで上昇しません。
放出する必要なく沈静化します。もしくは常に凪です。

しかし、自分に余裕が無くてイライラもしてしまっているときはどうしても外に出てしまいます。
一般的には「イライラを外に出すことは良くない」とされ「大人げない」とされます。
つまり「我慢しろ」ということです。
社会で生きるためには感情の抑圧を求められるのです。

なんだけど。

そんな出来た人間が一体どれほどいるでしょうか?
私も社会人になってから長いですが、けっこうあっちこっちでみんな怒っています。
正面切って怒れない人は陰口に変換されて怒りをぶちまけています。

元々私は怒りを放出してしまいやすい体質でした。
大人になるにつれて「それはよくないこと」だと隠して生きてきました。
怒りをコントロールできる大人だよって見せかけの仮面を付けて生きてきました。

他人の怒りに笑顔で受け答えするスキルもそれなりに身に付きました。
自分の心の中で黒いものが渦巻くのを抑えながら。

でもなんで自分だけ我慢しているのでしょうか?
周りの大人たちはあんなに怒っているのに、自分だけ怒りを我慢している必要はあるのでしょうか?

「アイツには怒りをぶつけても大丈夫」
そう思われてしまっているのかもしれません。

「他人の怒りにも対処できる大人な人」だと思ってくれる人は少ないかもしれません。
「いいように他人の怒りのはけ口に使われている人」だという認識が通っているかもしれません。

そんな都合のいい人間に私はなりたいのだろうか?
私の本質は怒りを放出しやすい性格なんでしょ?
だったら怒りなよ。不当な怒りに甘んじる必要なんてない。
ひと癖ある人間になったらいいんだよ。

逆に一目置かれることだってあるということも知りました。

 

イライラは態度に出る

イライラしているとどうなりますか?
態度に出ますよね?
目つき。顔つき。口調。態度。
身体から発するその一句一挙動。
「あ、なんかあの人怒っているな」ってわかりますよね?

前項目で「怒ってもいい」ということも書きましたが、やはりイライラを向けられるのは良い気がするものではありません。
関係のない相手にイライラをぶつけてしまうことも良いものではありません。
出来れば避けて通りたい道です。

私も怒りを向けられてしまうと反抗的な態度を取ることがしばしばあります。
(自分を殺していたころはこれが出来なかったんですけれども、今は割と出来るようになっているので「素の自分で生きることが出来ている」と言い換えることも出来ると思います。)

 

怒りは伝染する

一般的にも怒りのエネルギーは伝染するという話をよく聞きますよね。
確かにそうだよね。と、今までもこれからも思うことでしょう。
そして、今までは「周りの怒りが私に染ってくる」という体験から伝染するということを理解していました。

しかし最近もう1つ面白い体験をしました。
ある日私は出勤してから社長から不当なイライラを受けました。
私はその後一日中イライラしていました。
仕事の会話で私に話しかけてきた同僚がいました。
私は若干イライラ気味の口調で受け答えをしてしまいました。仮に同僚Aさんとします。
しばらくしてから同僚Aさんに話しかけた同僚Bさんが居ました。
同僚Aさんはイライラした雰囲気で塩対応していました。
そして同僚Bさんは表情が曇っていました。

なるほど、私が中間に入るケースもまたあるのだなと理解しました。

 

怒りのコントロール

人間ですもの、喜怒哀楽の感情はあって当然ですが、 あまりいつもいつも怒っている人だと人間的にどうなの?となってしまいます。
ほどほどに怒りとうまく付き合ってく方法って大切ですよね?

自分がイライラしてしまっている時
他人がイライラしてしまっている時
他人のイライラが染ってきてしまった時
イライラ(怒り)に遭遇するケースとしては大きくはこの3つがあると思います。

自分なりの細かいコントロール方法がまとまったらまた書いてみたいと思います。

 

最終的には心の余裕の問題。ついでに欲求不満の問題。

これを言ってしまうと元も子も無いのですが、自分が怒らなくてもいいような怒りに反応してしまう時は総じて心に余裕が無いことが多いです。
自分の心に余裕が無いから怒りとしての反応が出てしまうのです。
受け入れることが出来ないくらいの何かの情報が詰まってしまっているんです。
あふれ出たものが怒りです。

ついでに心が満たされていない欲求不満な状態の時もイライラしやすいですよね?
性欲が満たされない時のあのイライラ感、どうですか?イライラしちゃいますでしょ?
欲求は満たしてあげないと心がイライラしちゃうものなんです。

あー、私がイライラしやすいのはパートナーが居ないからかー(棒読み。

 

怒っていい怒りと、受け流したほうがいい怒りがある

私はこう考えるわけです。
世の中には「怒ってもいい怒り」と「受け流したほうがいい怒り」の2種類があると。

確かに人間関係を円滑にするためには常に平和であることが望ましいかもしれません。
穏やかなやりとりが出来るのが一番良いでしょう。

でもそういう訳にはいかないことも出てくるんです。
「怒ることはいけないこと」だと「禁止」されて教育されて生きてくると「怒ることそのもの」が「悪」という認識になってしまい「怒れない人間」になってしまいます。
社会人の新人教育とかでももしかすると「怒ることは良くないこと」だと教えられることがあるのかもしれません。
(私は新人教育受けたことないので知り得ませんので想像です)

ですが「怒る」ということは「自分の意思表示」の1つです。
自分が何をどう感じてどう思っているかを直接的に伝えることの出来る表現の1つです。
負の感情ではありますが、思考や交渉を引き起こす手段にはなり得ます。
「あの人が怒った」→「どういう対応すればよかったのだろうか?」
「あの人が怒った」→「私にダメなところがあったのだろうか?」
「あの人が怒った」→「私に否はない。私が負ける必要はない」
などの、選択肢を産むことが出来ます。

自分が怒っているという態度を示すことで相手との関係性を上手く動かすことが出来ることもあるのです。
怒ってばかりだと近寄りがたい人間になってしまうのでそれは考えものなのですが、怒りを収めるのではなく怒りを出すことで可能になることもあるのです。

大切なのは「同レベルの争いをするべき怒り」なのか、「自分にとってどうでもいい怒りだから気にしないでおく」のかを選ぶこと。
怒るべき正当な理由があるときは怒ればいいのです。論理的に。
不条理な怒りやどうでもいい怒りを向けられた時は、場合によっては自分が不快に感じているということを相手に示せばいいのです。
自分に関係のない場合は放かっておくことで、怒りを遠ざけることも出来るのです。

 

偉そうなこと書いちゃいましたけれども、私もまだまだ未熟です。

 

 

 

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