人生につまづきながら生き方や働き方を模索していくブログ

どうにも社会人として会社に馴染めないとか、生きるのがちょっと疲れちゃってたりとか、生き方とか働き方に疑問を持ってたりとか、なんかそんな事とかそうじゃない事とかをのんびり書いていくブログ。

弱い人間だからこそ生き残るための術を考える必要がある

言葉の上では「同じ人間なんだから」という言葉をよく聞きますが、細分化していくとたとえ「人間」というくくりは同じであったとしてもその中には色々な種類の人間がいますよね。

今回の記事で分けて考えたいのは「強い人間」と「弱い人間」の2種類について。
何が強くて何が弱いのかということを話し出してしまうとそこには差別的な表現も含まれてしまうと思うのでオブラートに包みつつ。
気に病んでしまう表現が含まれていたらごめんなさい。
先に謝っておきます。

 

「強い人間」とは

強い人間とは何よりも自分自身で生き残っていくための力を持っている人間でしょうか。
自分自身でお金を稼げる。
頭がいい。体が強い。
心身ともに健康である。
遺伝子を残すことも出来る。
残したいと思うことができる。
社会生活の中で苦しみながらでも耐えながら生き抜くことができる。
そう生きる力を持っている。
生き抜く力を持っている。

たとえ犯罪者であったとしても生き残って人生を全うしたのならばゲームクリアという見方も出来ることでしょう。

 

「弱い人間」とは

あくまでも私の定義する「弱い人間」ということですが、精神的に不安定で自立することができておらず、自分の力で立って歩け無い。
自分の力で稼ぐことができ無い。
頭が悪い。体が弱い。
生きて行く力が弱い。
誰かに依存したり、助けてもらわないと生きていけない。

自分のことを書いているようでブーメランです。
とある漫画の有名なセリフに「所詮この世は弱肉強食」なんていう言葉がある通り、本当にその通りだと思います。
人生サバイバルゲームです。
強ければ生き、弱ければ死ぬ。
本当にそれだけのことだと思うんです。
生き物の摂理として、数々の生き物たちの中で普遍的な食物連鎖の中での出来事。
あと、運。
運が良ければ生きれるし、悪ければ死ぬ。
偶然巡り合って愛し合った男女が交わって生まれてきた子供が全て「強い人間」になるかといったら、残念ながらそんなことにはならなくて。
「強い人間」もいれば「普通の人間」もいるし「弱い人間」もいる。
「強い人間」とか「普通の人間」ならばほかっといても勝手に生きて行くだろうし、特になんか心配しなくても大丈夫じゃね?って感じになると思うんです。
ことさら「強い人間」の周りにには人が自然と集まってくるのでさらに強くなっていくことでしょうし。
生き抜いていけることでしょう。
道さえ間違えなければ。

 

問題なのは(問題といってごめんなさいね。でもこれは自分も当てはまるんです)「弱い人間」。
ほかっといたら死んでしまいそうなね。
グジグジ、ウジウジと悩んでばかりいてちっとも前に進んで行く気力がない。
今はいいかもしれないけれど、数年後、数十年後、本当どうやって生活していくつもりなの!?ってなっている人たち。
周りの助けがあるうちはいいけれども、大して人脈もあるわけじゃない。
完全に孤立してしまったらきっとそこでおしまいじゃん?
そういう弱い人間こそ、「生きて行く意思が少しでもあるのなら」「生きて行くことに本当に向き合って」「生きて行く術を考えなければならない」と、そう考えるわけです。

いい加減に生きてきた訳じゃないんだけれどな。
真面目に生きてきたつもりなんだけれどな。
という言い訳も出てきますが、出てくるんですが、例えそうであったとしても、現状を考えた上での未来を見据えたとして「今のままでいいのか・だめなのか」。
つまり「生きて行くための武器を持っているのか・持っていないのか」と、そこに繋がってくる訳なんです。

ごめんなさい。
もう33歳だけれど武器となるようなもの、持っていません。
自分の弱いところばかりに目がいってしまって「強み」がわかっていません。
そもそも自分に強みなんてあるのかすらわかりません。

生まれてきただけで凄いことなんだよ!これもよく言われている言葉です。
これは優しい言葉です。
言い換えるなら甘い言葉です。
「1億~3億ほどの精子から選び抜かれた精子卵子と結びついて君は出来たのだからその時点ですでに戦いに勝っているんだよ」という優しい言葉です。
こっちは毎日必死なんです。
本当の戦いは生まれてからなんです。
生まれてから死ぬまでが本当の戦いなんです。
この甘い言葉に1つ救いを入れるのであれば、「そこの戦いに勝ち抜いているのだからきっとほかの戦いにも勝てるはずよ」と。
しかし生まれてくると前述の通り強い個体と弱い個体の振るいにかけられます。
精子の中での生存競争には勝てたかもしれませんが、人間同士の生存競争の中では弱い個体となって駆逐されます。

 

人間同士の生存競争に勝つために、昔はたくさん子供を産みました。
生き残る確率も低かったからです。
子孫を残すためにはそれなりの個体が必要でした。
医療も発達していなかった時代ですので、事故や病気で命を落としてしまえば家系の存続が危ぶまれたからです。
生まれてきてからの生存率を上げるための出生率の高さだった訳ですね。

今は医療も発達してきていて致死率も下がりましたが、その分、幸か不幸か「弱い人間」が生き残る確率も高くなりました。
自然淘汰で強い人間だけが生き残っていた時代から、弱い人間でも生き残れる時代になっているのです。

 

致死率の高い生物ほど卵はたくさん産みます。
カエル、カメ、鮭とか。
外敵が多くて食べられてしまうからそれだけの数が必要なのですよね。
医療もないですし。

 

弱くても生きていくしかないんです。
覚悟を決めるしかないんです。
体が弱くても、心が弱くても生き残れてしまうんです。
自殺しない限りね。
「死にたい」って口にしたとしても実際に死ぬのは怖いでしょ?死ねないでしょ?
ついでに言うと「死にたい」って言っているうちは死なないです。
私がそうですから。

本当に死んでしまう人は「無言で」死にます。
ある日突然唐突に命を絶ちます。
それだけ思いつめているんです。
自ら命を絶ってしまったことを尊敬は出来ませんが、そういう強さ持ってんなら一旦逃げてもう一回生きる強さを持てるまで生きてみようよ!とか言いたくもなります。
いや、うん、ものすごく追い詰められて疲れてしまうこともあるでしょうね。ほんと。
こういう世の中ですもん。

弱い人間はね、弱いなりに生きる術を見つけましょうよ。
遺伝子レベルでの強さの違いはどうあがいても埋めることができないんですよ。
体力的にも、体格的にも、頭の良さも、人格も。全て違うから。
だからさ、弱くても弱さの中の強みを見つけてさ、悩みながら生きていくしかないんですよ。
つまづきながら生きていくしかないんですよ。
私も随分心がボロボロだけれども、体もガリガリでひょろひょろだけれど、なんとか生きてるさ。
自分の強さや強みもまだ見つかっていないけれども、生きていく術が見つかったらラッキーだなって思って生きているんです。
若いやつらに負けながら、そして見下されながらの現実だと思います。
普通に生活している人から見たら「何やってんの!?」って思われていることでしょう。
でもこうやって生きてくるしかなかったんです。

だから生きる術を見つける努力を小さいことを試しながらやっています。
人より多くの失敗をしないといけないかもしれないし、結果的に報われない人生で終わってしまうのかもしれないけれども。

辛くても、なんとか生きているよ。
愚痴もこぼすし、悩みも吐き出すし、このブログにぶつけてるし。
・・・って、なんか自分自身に言い聞かせるような感じになってしまいましたけれど。だから、悩むのもいいけれど、たまには考えることもしてみようね。

 

 

 

 

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