人生につまづきながら生き方や働き方を模索していくブログ

どうにも社会人として会社に馴染めないとか、生きるのがちょっと疲れちゃってたりとか、生き方とか働き方に疑問を持ってたりとか、なんかそんな事とかそうじゃない事とかをのんびり書いていくブログ。

やりたくない。その一言が言えない。

やりたくない仕事を「やりたくない」と言って断れない。

社会人になるとそのようなわがままが通らなくなります。
やりたくなくてもやる。
それが仕事というものだ、と。

やりたくない」の理由にもいくつかあって

  • めんどくさいからやりたくない
  • 興味が無いからやりたくない
  • 難しいからやりたくない
  • 理解できないからやりたくない
  • 忙しすぎるからやりたくない
  • とりあえずやりたくない
  • それをするのが怖いからやりたくない
  • 自分には無理そうだからやりたくない
  • 自分の中に曲げたくないもの、守りたいものがあってやりたくない

こんな感じでしょうか?
これらをレベルごとにまとめていってみると次のようになるかと思います。

<レベル1:堕落したやりたくない>
・めんどくさいからやりたくない
・とりあえずやりたくない
・興味がないからやりたくない

<レベル2:恐怖心・チャレンジャー精神の無さからくるやりたくない>
・難しいからやりたくない
・理解できないからやりたくない
・それをするのが怖いからやりたくない
・自分には無理そうだからやりたくない

<レベル3:忙しすぎる・理由がある>
・忙しすぎるからやりたくない
・自分の中に曲げたくないもの、守りたいものがあってやりたくない

大きく3つに区分け出来るのかなと思います。
それぞれのレベルについて「やりたくない」の正当性について考えていってみたいと思います。

 

<レベル1:堕落したやりたくない>

いやーもうとにかく気乗りしないし、それめっちゃめんどくさそうだし、大変そうだし、やりたくないわー!!ってやつですね。
それでも誰かがやらなきゃいけない。
だって会社として信頼されて頼まれた仕事だもの。
「出来ません!」って言える仕事の内容ならばそれで通ることもあるのかもしれないけれども、そうじゃない事の方が多い。

(しかし何で仕事って「出来ません!」が通用しない世の中になってしまっているのかね?出来なかったらお金もらえないだけの話なんだしもっとゆるやかな仕事のやりとりが出来るくらいの社会的余裕みたいなものがあるといいのに、ってつくづく思うよ。なんでも出来ちゃう完璧な人間ばかりじゃないやん?出来ることもあれば出来ないことだってあるんだもの。挑戦は大事だけどさ。)

会社として請け負ってきた仕事なので、それを達成するために個人なりチームなりで取り組む訳ですが、やりたくないなんていってられない。
断ったら断ったで仕事的に立場も危なくなるかもしれない。
使えない奴ってレッテルが貼られるかもしれない。
そしてこういう堕落(は言い過ぎかもしれないけれど)した「やりたくない」は攻撃の的となってしまうことが多い。
「社会人にもなって”やりたくない!”なんてバカ言ってるやつがあるか!!!!!」って。
正当性を問われてしまうとあまりにも身勝手で自分の我がままからくる「やりたくない」なので正しいと言われることはない。
「やりたくなくてもやるんだよ!!」と、とりあえず言われてしまう。
心の中では「やりたくない」って思っていても「はい!やります!」としか言いようがない。

 

<レベル2:恐怖心・チャレンジャー精神の無さからくるやりたくない>

このレベルの「やりたくない」だったら「やってみたら案外上手くいってみた」っていう結果になることが多い「やりたくない」の種類かもしれない。
誰だって新しい仕事に挑戦することは怖い。
「うまくやれるのかな?」「失敗したらどうしよう?」「お客さんに迷惑かけちゃわないかな?」ってとっても心配になったり不安になったりする。
とってもこの気持ちよくわかります。
自分の中なの恐怖心から来る不安と心配。
よしやるぞ!!っていうエネルギーに満ちている人にとってはなかなか理解してもらえないけれど、チャレンジ精神よりも恐怖心が先だっちゃって「出来ればやりたくないなぁ」って思ってしまうものですよね。
1人だったら怖いかもしれないけれど、もし協力者がいてくれるのなら乗り越えられる可能性が高いです。
自分を伸ばすチャンスにもなります。
実際心に掛かってくるストレスは半端ないので逃げ出したくなりますけれどね。
そのプレッシャーに耐えれるのか、耐えられないのか、その物差しも自分の中で作られるかもしれません。
ただ、乗り越えたら器が大きくなることは間違いないと思います。
でも既に心身が疲弊しきっていてとても挑戦するようなエネルギーを持ち合わせていない時は休むこと優先してください。
逃げることが必要な時期もあります。引いてから攻めましょう。
正当性については認められることもあれば認められないこともあるでしょう。
頑張ってダメでも挑戦することに意味がある!という感じでしょうか。
既に自分の力量が分かっていて本当にやりたくない!という時は強めにお断りしてみるのも手かもしれません。

 

<レベル3:忙しすぎる・理由がある>

「忙しすぎる」この理由だけは避けて通ることは出来ないでしょう。
断るには十分な理由になります。
自分のところに来る仕事の量が過剰集中している上にさらにやってほしいとなった場合、「もうこれ以上やったら私がオーバーワークです」となります。
自分の心を潰さないためにも断ってください。
また、正当な理由で自分の中に曲げたくないものや守りたいものがある場合も、個人的な理由かもしれないけれど認められることもあるので相談の余地ありです。
他の仕事にまで支障が出てしまうようならば会社として問題があります。

 

 

それでもやっぱりどんなときでも「やりたくない!」って思う時はある!だって人間だもの!

いくつか理由を挙げてきましたが、それでもやっぱりやりたくない!って思う時。
ありますよね?ありませんか?私はあります。
疲れ切ってるときに「はい、これも」「はい、あれも」なんて言われちゃー「ふざけんな!!!」ってなりますよね。
こっちだってギリギリのスケジュールで動いているんです。
予定があるからって先に帰ってしまう人のフォローだってしているんです。
マジふざけんなです。

しかし何で「やりたくない」の意見をサラッと言っても受け入れてもらえる人と、逆に受け入れてもらえない人がいるのでしょうか?
その違いは一体なんなのでしょうか?

伝え方?人相?性格?雰囲気?

怖い顔したイカツイ感じの人が「やりたくない」っていうと聞き入れてもらえたり、甘い顔した優しい顔した人は「おっ、こいつは押しに弱そうだな」って思われて強引に押し付けられたり。
「怒らせると怖い」って周囲に思われている人の意見は案外通りやすかったり。
主婦社員の「やりたくない」は案外スッと聞いてもらえるのに、男性社員の「やりたくない」は「何言ってるの?」ってなるし。
不条理なことこの上ない。
まったくもって不公平。
社会なんて残念だ。

 

そういえば、私も昔このようなことがあった。
あれはまだ20代も入りたてのピッチピチな頃。
夢を追う為にアルバイトをしていた頃のことだった。
私は一応一日4時間の労働で契約を結んでいた。
上司に呼び出されて、一日8時間の契約に変えれないか?と相談を受けたときのことだった。
「どうかな?」って聞かれたので「無理です。」とキッパリ言ってみた。
するとどうだろう。
「何が”無理です”やぁ!?そんな言い方あるかい!!学生とちゃうんや、社会人やで??そんな言い方通用すると思うとるんか??あぁ??」と、怒鳴られた。
そのころ私はビジネス書を愛読していた。
「はっきりとNOが言えるビジネスマンになろう」みたいな項目もあって、それを実行してみただけだったのだがこの結果である。
本の通りには行かない。
そして私は素直に実行しすぎていた。
その時の話はなんとか8時間にすることもなく4時間のままでの労働時間を守ることは出来たが、そんなに叱られるものなのかと正直驚いた。
そしてそんな怒り方をされたことに苛立ちを覚えてその人のことが嫌いになった。

それ以来、「いやです」と伝えることとを躊躇するようになった。
会社が変わっても言いだすことが難しい性格になっていた。

「言われたことは、やる」社畜精神の完成である。
断ることが出来ないので、頼まれたことは「はい、はい」と全て引き受けていき、オーバーワークになりイライラが募り、心が潰れて、病む。
ついついいい人になってしまう。
いい人を演じてしまう。
その結果、いいように使われてしまう。
断れば嫌な顔をされる。
断れば怒られる。
だったらやるしかないのか、と。

上司が欲しいのは都合のいい部下。
物わかりのいい部下。
嚙みついてくる部下は力づくでねじ伏せる。そんな感じなのだろう。

私自身が欲しいわけではない。仕事をしてくれるコマとなってくれる誰かが欲しいだけ。
それはどこの会社に行ってもそうなのだろうし、会社のシステムとして求められるのは「コマ」なのだから個性は別にいらないのだろう。
個性を必要としてくれるのは特殊な会社だけだ。
個性を生かしたいのならば、そういう特殊な会社に入るか自営業を始めるかくらいしか道はない。

もし会社で「やりたくない」仕事に遭遇したのならば、多少嫌われてでも自分の意見を言えるような人になったほうが、私のような社畜にならなくて済むので挑戦してみて欲しい。
怒鳴られたら怒鳴り返すくらいしてみてもいいかもしれない。
怒鳴れなくても睨んでみてもいいかもしれない。

舐められたら終わりだ。あなたもコマになる。
あいつはちょっと気難しいやつ」って思われているくらいがちょうどいいのかもしれない。
私は断り方がヘタなので、そして見た目的にも舐められるタイプなので、どうしても断りたい時は苛立ちがそこに加味されて相手を威嚇する形になる。

断り方がうまい人は本当に波風立てずに断るので、そういう風貌や正確に生まれついたのだろうなと思う。

 

断る力」「断るテクニック」も社会の中で生きていく上では大切なことの1つですね。
なんでもかんでもやることになって、私みたいに潰れてしまわないように気を付けてくださいね。

 

 

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