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人生につまづきながら生き方や働き方を模索していくブログ

どうにも社会人として会社に馴染めないとか、生きるのがちょっと疲れちゃってたりとか、生き方とか働き方に疑問を持ってたりとか、なんかそんな事とかそうじゃない事とかをのんびり書いていくブログ。

自分の世界にただ独りだけ。

人間関係について 心の問題について

なんだか無性に孤独を感じてしまう時ってありませんか?

部屋に独りでいる時よりも、周りに人がいてその人たちは楽しそうにワイワイやっているのに、自分はその輪に入れなくて取り残されている時にこそ強く孤独を感じてしまったりします。

「その場にいちゃいけない人」のような気がしてしまいます。

実際その会話には自分が入るスキはないので、その場に必要はないし、話題の内容もその人たちのものなので自分が横から入ることもそれはそれで場違いになります。

つまり自分は空気にならないといけない。

そのような感覚を感じてしまうことがあるんですよね。


「本当はみんなとワイワイ楽しくやりたい」
「自分だけ取り残されているこの状況がとても居心地がわるい」
とか、そのような感情ですごく一人ぼっち感を感じてしまうのかなと考えています。


しかしこのような状況は以外と良くあることだと思うんですよ。
だって話題なんて人それぞれですもん。
持ち合わせている話題が合っている時だけ輪ができるんです。
持ち合わせがなければ輪には入れない。
聞き手に回ることはできるけれども、そこに物理的距離感があれば耳には入ってくるけれど聞こえていないようなフリをして存在を消していたりとかします。


なんなんでしょうね。
この精神が掻き乱されてしまうモヤモヤとした感情は。

正直このようなケースで孤独を感じる必要などないという事などはかなりの昔に理解しているはずなのです。
なのに!なのにです。
未だに安定感なく振り回されてしまう事があるのですよね。

否応なく入ってくる賑やかな声。
耳に届いてくる話の内容。
めっちゃ楽しそうやん。

あー、羨ましいのかもしれない。
そういうの。

「楽しそうな輪に参加したい」という感情の表れとも言えるのかもしれないな。


かといって、話に割って入るような空気読めない人になることもできないので、ポーカーフェイスを装い我関せずというポジションを決め込むわけです。

この時、外界と自分をシャットアウトするわけですね。
そう、「自分の世界に独りだけ」という状況になるわけです。
無関係・無関心であり、顔色ひとつ変えずに話題すら耳に入ってこなくなるくらい自分の世界に入り込む。
そうすると、少し心が落ち着きます。

自分の部屋で独りでパソコンやってるときのような感じですよね。
落ち着きます。
心が平常心を保たれるようになってきます。
割と。

それでもやっぱり寂しさは感じてしまうんだーー!!


集団の中で独りになってしまうのならば、最初から独りでいられる空間の方が居心地がいいという発想に行き着くと、引きこもりが完成します。


引きこもりは引きこもりで寂しいものもあるのですけれどね。
適度に話題を共有できる話し相手の存在は必要ですよね。
他の場所では輪に入れなくて辛い思いをしたかもしれないけれど、こっちなら話す相手がいてくれるという安心感は得られると思います。

声を出して誰かと会話をするのは思っている以上にプラスのエネルギーが発生しているものなのです。
あ、もちろん楽しい話題の時がプラスなんですよ^^



必要とされている時だけ軽やかに話題に入って楽しんで、それ以外の時は平然としていられるような精神力を兼ね備えたいものです。





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