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人生につまづきながら生き方や働き方を模索していくブログ

どうにも社会人として会社に馴染めないとか、生きるのがちょっと疲れちゃってたりとか、生き方とか働き方に疑問を持ってたりとか、なんかそんな事とかそうじゃない事とかをのんびり書いていくブログ。

道から外れると性格も歪む!?いやむしろ個性じゃない?

「普通」っていう言葉。
好きですか?嫌いですか?

私は嫌いです。
「普通は◯◯だよねぇ〜」っていうその感じ。
どうしても抵抗したくなっちゃいます。
「普通ってなんだよ!!」って。

一応社会に溶け込むフリをしているので、会社にいるときなんかは「普通」であろうとしてしているので偽りの仮面なんてものをつけているのですが。
そうこうしているうちに自分がなんなのか見失っちゃう迷子の子羊にもなってしまいかねないので注意が必要です。
愛想笑いをしている自分が気持ち悪いかもしれないと感じてしまうことすらあったりして。


どちらかというと私は鬱々とした感情をエネルギーに変えて生きてきた人です。
根底にあるのは「人の輪に入るのが苦手」というものでした。
警戒心が過剰にあるのか、はたまた臆病なのか。
「石橋を叩きまくって渡らない」そういうタイプでした。
でもちょっとテンションが高い時は「渡る」というより「飛び越えて」しまうので相手に引かれます(笑

うまい具合に人との距離感を測ることが苦手なんですよね。
いわゆるコミュ障。


幼稚園の時から、すでに行きたくなかったし。
小学校に入ると高学年の女子にからかわれたのでトラウマができて女子に対して偏屈になったし。
殻に閉じこもっておとなしい自分でいたし。
だけれど小学校高学年になると外部要因で強制力がかかって自分を出し始めて「力」があればそれなりに輪に入ることができるらしいということを実感。それが学力だったりしたわけで。
「真面目・寡黙・それなりに運動できる・それなりに友達がいる」が自分のキャラ。
中学校になっても「真面目キャラ」でいることで自分の居場所を確保出来たため、いじられることとも干されることもなくいい具合のポジションで居心地が良かった。この頃全盛期。
しかし高校。ここから自分の性格が大きく歪み始めたのかもしれない。
まず、進学校に入ってしまったため自分の頭ではついていけない内容ですぐに落ちぶれた。
巻き返しを図るほどの根性もなく、日々の宿題と課題をこなすのに精一杯。オタクの友達数名とつるんでいる時だけが楽しい時間で他には何もなかった。
けれども一過性の友達だったみたいで、高校を出てからは関係も切れてしまったし、「なんだあの頃も結局自分は独りだったのか」という認識になってしまっているというネガティブ感。もちろん恋愛などない。
学力が低かったので大学も行く気にならず、専門学校へ行ってはみたものの馴染めず。
辞めちゃって社会人とニートの繰り返し。

人間関係の気持ち悪さを抱きつつ、自分の頭の悪さと性格の歪み具合に振り回されつつ、表向きは「いい人」で仕事をこなしつつ、ふらふらしている人生という。
未だに道が定まってはいない。
興味のあることだけに打ち込めればそれでいいと思うようになった。


書き残すものめんどくさいぐらいの大量のネガティ部なので、ザックリとした自分の道を書いてみたけれども、まぁ性格がこんな感じなので恋愛もちょっと道のずれているものしか経験していなくて、こんなの童貞といっしょじゃね?っていうこれまたネガティブ感。
見方を変えるとちょっと面白いのかもしれないのですけれどね。


ネガティブ要因は全部「自己の性格の認識」から起きているだとは思うのだけれどもこの改善がなかなか難しい。
・自分に自信がない。
・内向的である。
・臆病である。
・人付き合いが苦手である。
・なぜか独りになる。ならば最初から独りでいい。
というような要素を持ち合わせているので、どう料理していったらいいものやらっていうね。


さすがに10年以上も社会人をなんとかやってきたので、「それなりの人付き合い」は仮面をつけていればできるけれども、本質は「人が苦手」なので考えすぎて疲れちゃうこともしばしば。
付き合いが長くなればなるほど相手のことを読もうとしすぎて疲れてしまう。
多分人からみた自分は「付き合いづらい」という風に思われているのだろうなっていうの感じているし。
だから「結果独りになる」という現象が起きてくるのだろうし。
知り合いにはなれるけれど、友達にはなれない。そういうポジションなんだな。

「うわべだけの付き合いじゃ寂しさを感じるけれども、うわべだけでしか付き合えない人」なのだろう。
うわー、めっちゃネガティブ!



でもまぁ、しょうがないよね。
これが自分なんだから。
ということである程度自分を認めていくことをしていかないと、この先マジで潰れてしまいそうなので「個性」だって思うようにした。
持って生まれた性質をさらにこじらせたなんて面白いじゃないか。
うん、やっぱり凹む。凹みながらポジティブになろう。
そういう訓練をしよう。




「普通の幸せ」が得られないのならば「自分が思う自分の幸せ」な世界を作っていけばいいじゃないかっていう発想に変えようと。
そこに良い意味で仲間ができればそこから友達になれるかもしれないし。
独りなら独りで勝手に幸せを感じれば良いのだし。
そういう生き方もあり。



そして「普通」という言葉が嫌いな理由。
私自信が「普通」になることが出来なかったから。
「普通」に生きることができない人間だったから。
と、ふと思ってみた。



 

 

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