人生につまづきながら生き方や働き方を模索していくブログ

どうにも社会人として会社に馴染めないとか、生きるのがちょっと疲れちゃってたりとか、生き方とか働き方に疑問を持ってたりとか、なんかそんな事とかそうじゃない事とかをのんびり書いていくブログ。

生きてる世界が違うからって言われると心理的距離を感じるものです

ちょっと人と違うことをしたときだったりとか。
ちょっと意見や考え方が違うときだったりとか。

そりゃもちろん個性があるから違っていて当たり前のことなんですけれどね。

例えば片付けがすごく得意でなんでも綺麗に片付けちゃう人と、片付けがとっても苦手でごちゃごちゃさせちゃう人と。
その2人は性格も違えばタイプだって違うので、お互いの持ってないもので助け合えるかもしれないし、片付けられるって素敵ねって話題も広がったりするかもしれないのに。片付け手伝ってね!とかお願いされちゃうと嬉しくなるかもしれないし、逆に手伝ってあげられたりもするものなのに。

「住んでる世界が違うから」って壁を作られちゃっとときにはなんだか寂しい感じを覚えて、心理的距離感を感じてしまうこともあるものですよね。
何か得意なことを持ってる人がいて、それを持っていない人が感じる「あの人と私は違う」というこの感情。

実は誰だってこういう感情を持つものだし、持たないほうがめずらしいのかもしれません。
自分と、誰かを比較して感じること。比較検討して「あ、なんか違うな」って感じること。

そういう感情を強く感じると「世界が違うな」って思ってしまうものなんです。
その気持ちも理解できます。
自分も思ったりしますもの。

だけど、言われてしまうとそれはそれで「寂しさ」を感じてしまってね。
仲良くやってきたはずなのに、仲がいいと思っていたはずなのに。
そういう相手から「世界が違うから」って言われると「あなたは仲間じゃないのよ!」って言われてるみたいで壁を感じちゃいます。
言っても流せる距離感なら良いのかもしれませんが、それを測るのは至難の技。

「あー、あの人は自分のことちょっと遠くにみてるのかな」って思ったりとかして。


じゃあ言われちゃったらどうするか。
「そう、それが私の個性だもの!自分の得意分野だからね!手伝えそうなことがあったら相談してね!」って歩み寄るパターン。
あとはニッコリ微笑んで笑ってその場をやり過ごすパターン。そして、心の仲で「世界が違ってていいんだよ」って自分を認めてあげるパターン。

そう、たまたまその場には世界が違う人しかいなかっただけで、もっと広い目でみると同じ世界に生きている人が結構いたりするものですし。
(よっぽど特殊でない限り)

ですので、言われたら「ま、そうよね」ってサラッと心の仲で流せるくらいの器量があれば丁度良いのでしょうね。
「気にしていてもしょうがない」シリーズです(笑
むしろ「オリジナルの世界」かもしれないことに気づかせてもらえたのでハッピーです。