人生につまづきながら生き方や働き方を模索していくブログ

どうにも社会人として会社に馴染めないとか、生きるのがちょっと疲れちゃってたりとか、生き方とか働き方に疑問を持ってたりとか、なんかそんな事とかそうじゃない事とかをのんびり書いていくブログ。

独自ドメインを取得したお

ちょっと頑張ってみようかしら。

いやいやいや、頑張っちゃだめだ。頑張りすぎるから。

気楽にやってみようかしら。だ。

 

転職してから早くも1年が経とうとしている私。
あっという間の1年だったけど、この一年得るものも大きかった。
「この仕事ならやっていけそうな気がする」という小さな自信が得られたという、ね。
まさか会社でイラストレーターとして仕事が出来ているなんて、ね。

 

小さく自信が付いたので、じゃあもうちょっとだけイラストレーターという職業に対して、どこまで歩み寄れるか挑戦してみようかな、なんて思ったりして。

で、またいつものように挫折しちゃうんでしょ??っていうルートもあるけれど。

そんどきゃ、そんどきだー、っていう勢いも大切でしょ?

 

やりたいと思ったので、やってみよう。

 

そういうことにする。

 

そう、残念ながら「はてなブログ」をプロにして独自ドメインにして〜とかのお話ではありませんでした。
それなりのアクセスがあればそれも考えなくもないけれど。
こっそりやってるブログだし。その辺は気楽にやっているつもり。

 

 

今回独自ドメインを取得するにあたり、いつもお世話になっているxdomainにて取得することにしました。
アカウント持ってるしね。購入楽だよね。

独自ドメインの取得経験は過去にもあるけれど、更新しなくなって自然消滅させてしまった苦い思い出もあるので、今回は続けたいと思います。

 

契約期間は5年で取りました。
かたつむりの歩みだからね。何かと時間がかかるかもしれないからね。

 

まだ一週間前くらいに思いついたばかりのサイト名をローマ字にしてドメインにしました。

ほんとに思いつきでやってんなー。

このノリと勢い、嫌いじゃない。
自分の中のノリと勢いだから。気持ちがいい。

 

じゃあ次はWordPressの出番ですね。
正直、WordPress苦手なんだよなー。

プラグインが多すぎて何をどう選べば良いかわからないし、サイトデザインが思ったように構成出来ないこともあるし。
自由度を高めるためにはそれなりの知識と技術が必要だっていう。

私には、ない。

バナー作ったりするのは余裕なのに、内部を弄るのにはちょいと足りない。

初期の頃のhtmlとcssのサイト作りは楽しかったけど、今はもう難しくなりすぎちゃておじさんついていけないわー。

 

のんびりやるぞー。

 

 

母にカバンをプレゼントしたお話

もう5年以上も使っていただろうか。

もうそれはボロボロだった。よく使ってくれたと思う。

 

私は何年かに1回定期的に母にカバンと財布をプレゼントしている。
母は自分で財布やカバンを買わない。
きっと「新しく買うお金がもったいない」と思っているからだろう。
貧しい生活、節約する生活が板についてしまっている。
我慢しているうちにそれが普通になってしまったような感じかもしれない。
「使えるうちは使う」がモットーだ。

 

でも、ある程度身なりを整えることは大事だ。

使っていて味が出てくるものなら良いのだけれど、小汚い感じになってしまっては好ましくないきがする。

ものを大切にする、という意味では良いことだし、私もそれを受け継いでいると思う。

要は切り替えのタイミングが重要なのだ。

 

今回はもう限界まで使ってくれていたと思う。
例えばカバンの淵に使われている合成皮革がボロボロになって剥がれてきていた。

・・・あ、この前の私のカメラカバンと同じような感じだ。

 

母は日常使いでどこに行くにもカバンを持ち歩くので使用頻度もなかなかのものだ。
それもまた私も人のことを言えた口ではないけれど。

 

さて、そんなカバンを数ヶ月前から気にしていた私。
やっと買い換えることが出来た。

昨日「カバンを買いに行こう」と母とお店へ。
私も収入が収入なので、それほど高い買い物は出来ないのだけれど、母にとって使い勝手の良いものが丁度あって、それを購入した。

母自身もカバンがボロボロになっていることは口には出さないけれど気にしていたようで、新しいのが買えてとても喜んでいた。

とても気に入ったようだ。
それはよいことだ。
喜んでもらえたならなによりだ。

 

これで私も1つ気にしていることが解消された。
次は財布だな。財布も年季が入っている。

 

 

↓買ったものと雰囲気は違うけれど、中が3つに仕切られている感じは似ているかな。 

 

何もしたく無いという気持ちを大事にすること。

頑張ろうとしない日を大切にしたっていいのだと思う。

そんな日があってもいい。

 

私は人よりも疲れやすい。

体も。心も。

それなのに、頑張らなきゃ、もっとやらなきゃ。

追いつかなければ、追い越さなければ。

焦りや焦燥感にもとらわれている。

同じように戦えないのに同じように戦おうとしてしまっている自分がまだいる。

 

それは私の人生の勝ち方ではないと。

自分の生き方や勝ち方があるのだと。

そこへスライドしていったらいいのに。

毎日毎日答えを探し彷徨っている。

 

考えすぎて頭が重い。

実行力はそれほどないのに頭ばかりが先行して動く。

あれも、これも、考えすぎてしまう。

そしていつも頭だけは動いている感じが残っているのでなんかずっと疲れている。

 

頭が動いているのならそれに見合った結論がいくつか出てきてもいいものなのに、なぜか白紙に戻っているような気さえする。

そう、きっと自分自身が実行するレベルに落とし込まれていない妄想レベルでしかないからだ。

だからあれもできない、これもできない、もうだめだーー。って疲れている。

勝手に疲れている。

 

疲れているのにまた頑張ろうとする。

 

いや、休め。

 

休もう。

 

モヤモヤした頭でいつも考えていていいアイデアが浮かんだか?

同じ知識と同じ情報量で進展するか?

 

しないだろう。

 

 

今日はゆっくり休んだらいい。

 

午前中は用事があったので、午後からひたすらのんびりした。

音楽聴きながら寝転がっていたら知らないうちに昼寝をしたら夕方だった。

あー、のんびりしたな。

エアコンつけなくても窓から入ってくる風で昼寝が出来るとか、少し秋も感じられて良いじゃないか。

 

ゆっくりしたついでにやっぱり頭はいろいろ考えているのだけれど、1つ実感したことがある。

私は私が笑顔になれるような幸せの感じ方はよくわからないのだけれど、自分の頭が喜ぶような適度な刺激を受けるのは楽しいということ。

自分の頭脳レベルにあった経験や知識や知恵をえることが楽しいということ。

あまりに難しいことはストレスで、簡単すぎることもつまらなないという天邪鬼。

ちょっとだけ上を考えたくて、ちょっとだけ新しい知識や経験が欲しい。

そういうちょうどよさが心地よいらしい。そういう時に充実感を得られるらしい。
(興味のある分野に限る)

 

いや、今日初めて気づいたわけじゃなくて「まぁそうだよね」って改めて思っただけだけど。

 

 

 

それにしても、何もしないって決めると突然暇になってしまって何をしていいのかもわからなくて途方にくれる。
もう「何か」をしようとして次を探し始めてしまっている。本末転倒。

コーヒー飲んで、お菓子は食べたけれど。

 

 

 

暇だなぁ。

 

 

 

精神病患者のいる家で。

私の父は躁鬱病だ。
やたら元気でハイテンションな時期と、落ち込んでほとんど何も出来なくなり闇期とが繰り返されるあれだ。
私が家で笑わなくなったことについて書いた記事でも少々触れた。

search-life-work.hatenablog.com

 

ハイテンションな時期を「病気がが治った」と捉えられがちだけど、実際は「躁状態」の時期なので「鬱が治った」という意味では合っているけれども「病気が治った」は不正解だ。

現在父は鬱期の真っ只中だ。
ここは精神病の病棟だろうか?と思わせてくれる。
毎日のように「あーーー」とか「はぁーーーー」とか「参ったなーーー」とか呻いている。
背中も丸まって俯き加減で、目にも生気が無い。垂れている。
身の回りのことだけは自分で出来るので、それだけでもありがたいことなのだが。
それでもとにかく「暗く澱んだ辛さ」が漂っている。

 

母はやっぱり何年経ってもこの状況に慣れることはなく、ストレスを正面から受けてしまっている。
現在もいつもどおりイライラしている。
私は家事手伝いを少々しつつ、時折母を喫茶店に連れ出してはゆっくりできる時間を作っている。

まあ、何かと大変なのだ。
この大変さは墓場まで持っていかなければ解消されることはないだろうというくらいに。

私自身、長い間鬱状態を経験した。
ストレスに弱く、ひどく落ち込みやすい体質ではある。
やる気になっているときは誰よりも頑張ってしまうし、一旦落ち込むとひどい落ち込みようになる。
父の病状の少々軽い版とでもいおうか。
しかしハイテンションになることは無いので、躁鬱ではないと思う。

 

とにかく、家全体をマイナスオーラが包み込んでいるような、濃い霧に包まれているようなそんな感じなのである。
こういうのを「呪われた運命」とでも言うのだろうか。
「もがき苦しみながら、それにあらがって突き破ってみなさい?」という使命なのだろうか。

 

父を直視してしまうと、私もストレスを正面から受けてしまうことになるので、なるべく視界から外してナナメから見るようにしてきたし、母を少しだけ支えてきたつもりではあるけれども、実際のところは自分も結構ダメージを受けてきたのかもしれ無い。
30代も中盤になり、20代の時ほど目を背けることが出来なくなってきているのかもしれない。

 

弟は何を考えているのかわからなくて、こういうことには無頓着なのかもしれない。
逆にそれでいいと思う。
そのおかげで家庭全体が潰れてしまうのが防がれていると言える。
彼が普通に生きてくれたらそれでいい。
しかし「本音を言え無い」から黙っているだけだったら彼にとっても苦しい家なのかもしれない。ただの想像なので真意はわからないのだけれど。

 

 

この家庭の状況を突き破っていく力を私は求め続けている。

 

 

 

うつ病の人の気持ちがわかる本 (こころライブラリーイラスト版)

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  • 作者: 大野裕,NPO法人地域精神保健福祉機構(コンボ)
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  • 発売日: 2011/06/29
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仕事が沸いて出てこないかなぁ~?なんて思っていたら見積案件がきた。

ものっすごく漠然としたボケーっとした状態で
「なんかいい仕事降ってこないかなぁー?」とか「仕事が湧いて出てこないかなー?」って思っていたら、なんだか分からないけれど見積依頼が届いていた。

計算してみたら少々良い感じの金額になってしまった。
怖い。

少々良い感じの金額なのでお客さんにとっても悩みどころかもしれない。
もしかしたらお断りされるかもしれない。

あと、納期的にめちゃめちゃ短納期だったら私からお断りしようと思う。
自分が望まないことはやらない。
仕事の内容的にはとっても好みなんだけれどね。

 

「頼まれた仕事はたとえ短納期で無理難題だったとしてもやるんだよ!!!」
「断ったら仕事が来なくなるよ!!」
なんていう美談や恐怖がが世間では存在しているけれど、それこそがブラックの始まりだと思うんだ。
前もその早さでやってくれたんだから今回も・・・。って納期調整すらさせてもらえないなんて言うことが常態化する。
それが一社だけならいいかもだけど、何社からもそういう状態になったら??
想像出来るでしょ?

そんな社会の状態からは脱出するべきなのだ。
そして断っても仕事は来る。別のところから。
そういうものらしい。

 

だから無理な仕事は断っていい。
お手伝い出来る仕事は受ければいい。お互いが得になればいい。
そういうことでやってければいいのだと思う。

 

↑ここまで文字数が555だった。
GO!GO!GO!だと!?バカもほどほどにしてくれ。
浮かれてしまうから。

違うことしてこのことは一旦忘れよう。