だからあれほど見せてはダメだと言ったのに。
私の悪い癖がある。
自分で描いたイラストをどうしても友達に見せてしまうという癖だ。
こういう行為は若い頃なら許されるのであろう。
だけれど、どうやらある一定の年齢を過ぎると反応が細分化される。
- 受け入れて納得したり褒めてくれるケース
- いちいち反応するのがめんどくさいなと思いながらうわべで褒めるケース
- 反応したくなくて無関心なケース
- 突っかかってくるケース
大きくはこの4パターンに分かれるみたいだ。
自分で悪い癖だと分かりながらも見せてしまうのは
- 認証欲求が強いこと(褒めてもらいたい、自分のやっていることを知ってほしいなど)
- 見せることで何かその先に繋がるといいなと期待をしてしまうこと
の、2つが挙げられる。
そして懲りずに私は私のイラストを受け入れてくれない友人に対して「最近こんなの描いたよ」と見せてしまう。
「いちいち反応を求められるのがめんどくさい」とか「かまってちゃんだ」などと思われてしまうことだろう。
今回は私の絵の描き方や練習方法などに突っ込まれた。
なんでそうなの?そこは違うでしょ!というような感じだ。
元々美術の手ほどきを受けている友人なのでそういう会話が出てくるのもわかるし、自分自身は独学で、自分が楽しむ気持ちを持ちがながら、なるべく苦しく無いように描いているのでどうしてもルールや価値観にズレがでる。
私は苦しくなると描くのを止めてしまうので、止めずに続けられる方法を取っているのだ。苦しくても描ける人はその方法で良いのだろうけれど、人によって手段や方法は違ってて良いと思う。
こういう方法もあるよという感じで諭してくれるのなら私も受け入れられたかもしれ無いが、完全に真っ向から対立されてしまったので、「この感じは”また”だな」と思った。受け入れてもらえない人に見せることは良い方に解釈できれば正解なのだけれど、悪い方に解釈してしまうと、方法論や自分の好きなことや人格が否定されたみたいに感じてしまってものすごく落ち込む。
だからあれほどこの友人には自分の絵は見せてはいけないと誓っていたのに、また見せてしまった。私の愚行だ。
何度、自分で自分を追い込むのか。
前提として万人受けする絵画やイラストなど無いのだから、受け入れてくれる人もいれば、受け入れることが出来ない人もいて当然といえば当然だ。
しかも、うまい下手に関わらず、どのレベルの段階の描き手に対しても、受け入れる人もいればアンチもいる。
そういう世界なのだ。
しかし見せることをしないということは一人の世界の完全な趣味である。
それで留めておけばいいんじゃないの?と冷めた人は言う。
趣味なんだから一人で勝手にやっていれば良いんだから、わざわざ言いに来ないで!っていう感じで。
ものすごく冷酷な感じだ。
そこに人とのつながりが生まれないし、一人で生きているようなものだ。
人はやはり自分の好きだと感じているものは誰かと共有したいし、一緒に喜んでほしいとか思ってしまうものだ。
そういう人を探すために「見せる」という行いはしてしまうものだと思う。
行き過ぎた「見せる」行為はめんどくさがられるけれど、その程度も人によってまちまちで全然わからない。
一体どうやって自分の絵を広めれば良いのだろうか。
SNSも使っているけれども、反応はほとんど無い。
本当に世界の片隅だ。
イラスト用のブログもアクセスが落ち込んでいる。
やはり自分のイラストに需要がないのだろうか?
かといえば、自分のイラストを気に入ってくれた人もいて、その方の紹介でまた1つお仕事を頂けた。
ありがたい話である。
私は一体どこへどういうポジショニングをして向かっていけば良いのだろうか?
「本当に絵が好きならどれだけでも描ける」はある意味正解だろう。
その理論に当てはめるなら、私は絵が嫌いだ。
しかし「そこそこ絵を描くのが好きなので、描きたい気持ちがあったり燻っている」感じなので、私は絵が好きだ。とも言える。
「好き」の次元や程度も人の数だけあって良いのだと思う。
それを否定してしまったら本当に好きな人以外の人は「なんで描いているの?」という哲学じみた世界に陥って、嫌いになる人続出か、描いてはダメな人だよ!という宣告を受ける話になる。
私は自分のイラストが画家とか絵師とかそういうレベルになれないだろうということは自分で分かっている。
いや、自分のテイストが確率出来ればなれるのかもしれない。
が、そこに至るまでの何かが欠落しているし、不安定な中で描いているので、芯が出来上がっていない。
今まで他人の評価ばかりを気にして生きてきたことにも1つは起因しているかもしれない。下手だねなんて言われたら、もう描きたくなくなってしまうものである。
最終的には何が言いたいのかというと、
自分以外の誰かが何と言おうとも「自分のやりたいことをできる方法で進めているのならばそれを曲げてはいけない」ということだ。
もしその違う誰かの意見が良い意見で取り入れた方が良いと思うなら入れれば良いし、気に入らないならやらなければいいだけの話。
取り入れて苦しくなってしまう様では、それは心が違うと言っている。
一言で絵やイラストなんて言ってしまうことは出来るけれども、ジャンルもタッチも幅広い訳で、好きな絵もあれば嫌いな絵もある訳で、勉強した人もいればしていない人もいる訳で。そこにはいろんな生き方が入っている。全員同じ学び方をしてきた訳じゃ無いんだよ。
そう自分に言い聞かせて、自分が楽しく絵が描ける最善で、今の精一杯をしながら間違ったり変化させたりして進んでいこうと思う。
まだ、私は描ける。
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過労死レベルで働かないといけない会社って世の中に多いんだろうなとひしひしと感じる
知られていないだけで、みんな黙って言いなりになって働いているだけなんじゃないだろうか。
結構たくさんの会社で起こっている事実なのに、明るみに出ていないことが多いのではないだろうか?
なんでみんなそんなに頑張っちゃうんだろうか。
なんのためにそんなに頑張っちゃうんだろうか。
お客さんに頼まれたから断れない?
短納期だけれど、この仕事をしないとまた仕事がもらえなくなるから怖い?
私自身は過労死レベルで働いたことはない。
去年の秋、20連勤した時でも、それ自体は初体験だったけれども徹夜はしたことはなかった。遅くても夜の9時とか10時で、基本的には7時くらいには帰っていた気がする。
しかしそれでも私にとっては精神を脅かすほどの問題だったし、そもそもパート契約の9時〜16時だったのだから、完全に契約違反だ。
そんな事実はもみ消されたけれども。
そうやって負の感情で働いているので、ストレスや怒りを感じてくる。
この社長ぶっ殺してやんぜ!!!って何度思ったことだろうか。
そう、精神が脅かされると殺したいと思うくらいに憎い存在が出来上がるのだ。
私は「私が定める自分を健全に保っていられる労働時間」というものを把握しているつもりだ。
しかし、会社に入ってしまうとそういうものは完全に無視される。
関係ないのだ。そんな個人のことなど。
だから会社は社員に無理をさせるし、社員も「せっかく入った会社だから」とか「食べていくためには理不尽は我慢しないといけない」と呪文のように自分に言い聞かせて従ってしまうのだ。
それで働ける人ならいい。
だけれど、会社としての成り立ちは「同じルールで働ける人」が必要だということ。
そこに万人が合うかと言われると、合わない。
だから自分に合う会社を探し求めて転職するのだろうし、独立する人だって出てくるのだ。
誰かの作ったルールの中で働くというのは、とてもきついものなのだ。
最近2人の男性と、個々で話すことがあった。
そしてその2人ともが、全然違う会社で、全然違う業種だったのにも関わらず「昔徹夜したことあってねぇー」だった。
それも1回や2回の徹夜ではなく、忙しい時は定期的に訪れるような感じのものだった。
片方の方は「過労死ラインを超えて働いていた」と話していた。
今はもう2人ともその会社からは離れているけれども、聞いているだけで「そんな会社で働きたくない」と思った。
そこまでして突き動かすものはなんなのだろうか。
「周りがやっているから自分も」というのもあるのかもしれない。
もちろん「仕事が終わらないから」というのもあるだろう。
この社会の仕組み全体の何かが本当におかしい。
異常なのに通常のことのように行われているこの感じ。
一時期電通の過労死が取り沙汰されたけれども、電通だけが吊るし上げられたけれども、もっとたくさんの会社がそうなのだろう。
ちょっとね、そういう会社はね、一度潰れた方がいいと思うんですよ。
「潰れたら食べていけなくなる」とかじゃなくてね。
そういう精神も一旦捨ててもらってさ。
古い考えの人たちにはもう引退してもらってさ。
「働きたくない」とか「働いたら負け」という世代がさ、「ウチの会社ではこの時間帯のみの活動になります。それ以外の仕事はお受けできませんので、他の会社にお願い致します」スタンスでさ。
あちこちの会社で「それはよその会社で」「うちでやれる分だけは引き受けます」というような仕事をうまく分け合えるような会社が増えれば残業も減るんじゃないだろうか?
そうなってくると会社ごとの技術レベルの格差も減らさないと結局は一極集中に舞い戻ってしまうんだろうけれども。
まぁ自分の想像は全然、現実味のない理想論にも届かないような想像ではあるんだけれども、自分で自分の首を締めている会社が多すぎるというか。
そんなにみんな働きたいの??
(無駄に残業時間稼いで遊んでいる人は置いといて)
断ったら仕事が入ってこないってなっちゃうくらいの低いブランド力な会社ばっかりなわけ?
競合他社が多いから断ったら仕事持って行かれる?それは「ぜひあなたの会社でやってほしい」ってなっていないからだよね?
なんか、弱いよね。
一番強いのはさ、特に納期とか決め事なくてさ、自分の仕事のできるペースで仕事をしてさ「やり終わった日が納期」になる仕事だよね。
しかもそれで食べていけるブランド力があるということ。
もちろん怠けてダラダラ仕事しているわけじゃなくて、自分の定めるマイペースな労働時間はきっちり仕事をして「ちゃんとしたもの」を作り上げる必要性だってある。
適当にやって適当に作ってアラが目立つ商品なんて欲しくないからさ。
あぁ、仕事を成立させるのって難しいねぇ。
履歴書を書くのは本当に苦手だと感じる
ぼちぼち転職活動をしている。
あまり気合を入れすぎても空回りするので、受かっても受からなくてもどっちでもいいやっていうスタンスでやっている。
やっているつもりだ。ったのだけれども。
イラストやデザインを扱っている会社でなかなか興味の惹かれる会社を見つけてしまった。こんな田舎の地域でこんな求人があるなんてものすごく珍しい。
マジか。
応募してみるしかないだろう。
しかも正社員になるつもりがほとんどない私にとって、絶好のアルバイト・パート募集の案件だった。
履歴書や職務経歴書は、考えるのは得意だ。
どういう並びにするかとか、どういう文面をチョイスするかとか、特に職務経歴書を書く時にその力は発揮され、楽しい。
問題は履歴書だ。
一枚テンプレートを作るところまでは楽しい。
それを元にして量産する時が本当に面倒臭い。
「見ながら書くだけ」のはずなんだけれど間違える。
下書きをせずにボールペンで一発書きをしていこうものなら相当な確率でどこかを書き仕損じる。
調子に乗って今回もそれをやる。
ほらね、間違えた。
同じことの繰り返しは頭が付いてこないから苦手だってあれほど分かっているのに。
どこかで意識が途切れてしまって思考が飛ぶんだよね。
特に短いスパンの繰り返しのようなものが苦手。同じ動作とか。
だから流れ作業とか嫌い。
違う、履歴書の話をしているんだった。
いや、もう終わった。
つまり私は履歴書を量産するのが苦手だということだ。
怖い。その一歩が怖い。また、私は歩き出せないのだ。
「あと一歩踏み出すだけじゃないですか!!」
と、私は言われた。
昨日、2歳下の友達とご飯を食べに行った。
なかなか男気のある友達で、彼は私に延々と説教をしてくれた。
いや、背中を押してくれていた。そして勇気付けてくれていた。
先日もブログに書いたが、私は会社を辞めた。
絶賛無職だ。
しかし、ありがたいことなのだけれど、平均して毎月1本はイラストの仕事が舞い込んできている。
そして8月に受注した1本が、昨日完了した。
そのお客さんから、さらに1本紹介して頂けるという形で終了した。
私は今「今までにないこと」を体験している。(金額はまだ安いのだけれど)
そんな状況にある中、私はイラスト(デザイン系)のアイデアを書きためたノートを彼に見てもらうために持参して食事会に挑んだ。
やはり、絵描きとして反応をもらいたかったのがある。
本当は勤めていた会社の愚痴大会になる予定だった。
しかし、それどころではなくなった。
彼はことごとく私に発破をかけた。
- なぜ絵を描く力があるのにそれで食べていこうとしないのか?
- 土台が出来上がってるんだからあとは建物を建てていくだけ。
- 転職を考えている場合じゃない。もしまた行ったとしても最長で2年しかもたない
- 絶対、絵をやろうとして戻ってくる。それの繰り返しになる。
- 石橋を叩いて渡らない。鉄橋になるのを待っている。鉄橋にするのは渡ってからでいい。
- やれる力があるのに、やらないのはズルい。
- 面接に行く予定になっている会社にごめんなさいして、絵の道に行くべき。面接に行くだけ無駄。
- 足りてい無いのは「覚悟」だけ。あとは一歩踏み出すだけ。
時々話のルートはそれていたけれど、結局その話に舞い戻ってきて、舞い戻ってくるたびに彼の言葉はまっすぐに自分の心に届いた。
そして突き刺さった。えぐられた。
全くもってその通りで、私が自分一人の時に自問自答している・・・というか葛藤していることと同じなのだ。
まるで自分の鏡と話しているみたいだった。
こんなにもズバズバと言ってくれる友達がありがたいし、同じような考えを持ってくれている人に出会うことも珍しい。
こんなに背中を押してくれる人など、今までいなかった。
多分、私は以前より成長したと思う。
何年か前の自分は、自分の絵そのものに自信が持てなかった。
「もう自分はイラストレーターになるなんて無理だ」と思ってしまうくらいに下手だと思っていたし、下手だった。くそ下手だった。
だから描くのをやめた。
でもやっぱり描き始めちゃって、描くジャンルを変えたら楽しくなってきて、そしたら描けるようになってきて、「あー、俺描けるようになったな」って自分でも自信が出てきた。
全然気持ちの面で変化した。
「イラストレーターになれなくてもいいし、なってもいいかな」というニュートラルな感じになった。というか「なれなくはないだろう」とさえ思うことすらある。
というか、毎月何かしらお金を頂いて描かせて頂いているので「ちょっとなっている」状態かもしれない。
- 描くための自信が付いてしまっている。
- そしてメールでの対応はもともと得意だし、嫌いだった電話対応も、あながち嫌いじゃなくなった。
準備は出来た。
そうみえなくもない。
しかし、問題なのはここから先だ。
ここまでなら来れる人はこれる。自惚れてはいけない。
自信は大事だけれど、自信過剰や自意識過剰は目視を誤る。
そして私が一歩を踏み出せ無い理由。
昔は「こんな絵じゃだめだ」だったけれど、今は「どうやったら定期的にお仕事がもらえて生きていく分のお金を稼ぐことができるのか?」に変わっている。
あとは手段なのだ。
私の絵が生きる世界にマッチしないといけない。
絵の仕事が来ないときが怖いから、保険として他の仕事(正社員とかパートとか)を探してしまっているのだ。
会社に入って仕事をすることは苦手だということはもう知っているのに。
どうか皆様、私にイラストの仕事をください。
そんな心境なのだ。
なのに、このブログには絵を載せない。
絵を描いている中の人と、ブログを描いている中の人の「像」を一致させたくないからだ。
そういうあたりも人間臭くて、私はズルいのだ。
auを13年使い続けているユーザーがスーパーカケホからauピタットにプラン変更してみた
auが「ビッグニュースだよ!電話料金がすごく安くなるよ!」みたいなCMをやっていた。
月々私は8100円ほど、携帯使用料を払っている。
正直、高い。ガラケーの時代ならこんなに高い料金を払うことはなかった。
固定費、かかりすぎ。
格安スマホに何度乗り換えを検討したことか。
それでもしなかったのは「大手」であることの安心感。ただそれだけ。
他の会社に移った途端に「やっぱりやめておけばよかった・・・」なんて思いたく無いという心理。
そして長年使い続けてきたという変な愛着感がなきにしもあらず。
それだけの理由でauを使い続けている。
待ちに待った低価格の料金
auピタットプランという新料金システムが出来ました。
「データ利用量に応じて自動的に定額料が変動する」という4G LTEのスマホ専用のプラン。
基本料金は月々2980円でキャンペーンが適用されると1980円になるというお話。
私にはキャンペーンが適用されることは無いことは分かってはいるものの、データ利用量によって定額料金が変動するというのは実に助かる。
なにせ自宅のWi-Fi環境下でしか重いデータを扱わ無いので、毎月のデータ通信量は多くても2G、少ない時は1Gいかない。
それなのに高いデータ通信量を支払うのが辛い。
この辛さから解放してくれるような新料金システムに期待に胸をトキめかせました。
プランの変更前と変更後の料金を比較してみたいと思います
変更前:スーパーカケホの一番安いやつ
通話時間5分だけなら無料だよっていうアレです。
基本使用料:1700円
オプション使用料:4500円(データ定額)
通話料/スーパーカケホ:0円
請求総額割引:-3369円
apple製品向けサービス(税込):812円
購入機器代金:4045円
ユニバーサルサービス料:3円
消費税等:421円
支払総額:8112円
変更後:auピタット(スーパーカケホ)
基本使用料:1480円
オプション使用料:2000円(データ定額)
通話料/スーパーカケホ:20円
請求総額割引:-500円
apple製品向けサービス(税込):812円
購入機器代金:4045円
ユニバーサルサービス料:3円
消費税等:240円
支払総額:8100円
ほとんど変化の無い支払額
なんか、騙されたような気分になってしまいました。
1000円でも安くなればなんか違うのに・・・。
と、思ったけれども。
分割払いのiPhoneの代金「4045円」がもうすぐ購入してから2年経過するので支払が完了。
そうすると支払代金が4000円台になってくれるので、 そう思えば安い。
実際のところiPhoneが高級品なのだ。
基本使用料に関して言えば、プラン変更前も変更後も対して差はなかった。
220円安くなっただけ。
オプション使用料のデータ定額に関して言えば、幅を持たせることが可能になったのでこれはありがたい選択肢だと思う。新プランに賛成。
気になったのは割引額の部分。
プラン変更前は3300円ほどの割引があったけれども、変更後は500円程度になっている。
全然割り引いてもらえて無いじゃん!!!
と、一瞬思ってしまいます。
ですが、よく考えてみましょう。
新プランだと、基本使用料+オプション使用料=3480円
ここからもし3300円ほどの割引をしてしまったとしましょう。
利益・・・でない・・・。
そりゃあ割引額も低くし無いとやっていけないわな。。
最終的に何が金額を圧迫しているかっていうと、iPhoneが高い!
プラン変更前と変更後の料金を比較して、うまいこと同じような金額になっているところを見ると、「数字マジック」なのかなって数学苦手だけれど思ってしまいました。
(実際どうなのか知ら無いですけれど)
ただ、1つ言えることが「どう考えてもiPhoneが高い!!」ということです。
8000円から4000円引けば間違いなく5000円を切っているので、そこまで支払が圧迫されることがありません。1万円近くの支払になっているので高いと感じるのです。
iPhone・・・使いやすいけれど・・・高いんだね。
って、しみじみと再認識させられました。
あと2年くらいは、このiPhoneを使い続けたいです。
だって、冷静に考えてみようよ?
10万円近くするiPhoneをだよ?
2年間かけて分割払いするじゃんね?
で、支払終えた頃に新機種に機種変するじゃん?
またローンだよ?
2年間で10万円の本体。安いと見るか?高いとみるか?
高いと見ちゃうな。